善意の応援による悲劇の話

ちょっと怖い話をもう一つ書いておきます。

スタートアップにおいて、他人からの応援を受けすぎるとそのスタートアップは伸びません。
結果を出す前に、人気先行でスポンサーがつく場合、その選手は伸びません。
仲間内で何かをやろうとするひとを、温情や付き合いなどで応援すると、その人は伸びません。

その応援された側は伸びずに腐り、応援した側の肥料になっていきます。

大手企業が応援するスタートアップがなぜ飛躍することがないのか?
ジュニア時代に大手航空会社のスポンサーがついたスケート選手がなぜ結果を出せないのか?
街の人がこぞって応援した人たちがなぜ消えていくのか?

これは、力において劣る人を応援するということは、福子を養う家が発展するのに似て、
その「未熟な存在」を応援することによって、その未熟な存在ではなく、それを応援する側が発展するのが宇宙の仕組みだからです。

大運天中殺の陽転の仕組みを考えれば、それが真実であるということが分かるだろうと思います。

もちろん、
応援する側はそれと知っているはずもなく、この上ない善意で応援しているのですが、
結果として、そういうスタートアップ支援やスポンサード、ボランティアというのは、自分たちを発展させはするけれど、
その対象を発展させることはできません。

もちろん、応援された側というのも、それと知っているわけがなく、
この上ない感謝と、ときに忠誠さえ誓って応援してくれた人を崇め奉り、
そして一瞬の飛躍は見るのです。
「一瞬」、まわりからの注目を浴び、ときに羨望の的になり、華々しい道が開けていくのが見えることもあります。

けれど、
むしろそれこそが悲劇の始まりで、
本来なら別の道を進むことで飛躍の可能性もあったはずなのですが、
その、応援によってゲタをはかされたところから見た「輝かしい未来」を手放すことが出来ず、
決定的に「ダメ」な状態になるまでそこにしがみついてしまう。

ちなみに、冒頭に書いたことは事例として5年くらい前からその予測を立ててウォッチしていたことで、最近、「やはりなぁ」と思ったこと。
本当かな?と思う方は、ぜひその視点でウォッチしてみると良いと思います。
5年くらいあれば、たいていのことは詳らかになります。

たとえば、
「宿命から逸れている道」「宿命から逸れた在り方」というのは、5年くらいたてば真実が露呈する、ということです。
5年と書きましたが、だいたいは3年で分かります。

石の上にも3年、という言葉がありますが、
あれは「3年やっていれば、それが自分にとって真実の道かどうかが分かる」
という意味を含んでいます。

その意味では、何をするにしても、
自分の確固とした軸ができるまでは、
あるいは少なくとも3年は、過剰な応援は固く辞退してその軸を育てることに集中するのが良いのだろうと思います。

そうでないと、「善意の応援」によって、つぶされます。
悪意なく、全き善意の人によってつぶされる、という悲劇が起こります。

お師匠様についてのお稽古事や、仏門修行などにおいて、
最初のうちはとても厳しくされるものですが、これはお師匠様がそうした仕組みを知っているからこその愛情です。

その意味では、算命学などにおいても、「教える側」と「教えられる側」の節度は大切なのだろうと思います。

先日、「とても不躾な依頼をされた方」についてその方から、いかにその依頼が「合理的な依頼であったか」ということについてのメールをいただきましたが、
「合理的」であることと「本質に則る」ということが大きく異なることを解することができない現代の傾向というのは、
西洋文化によって教育されたことによる大きな弊害なのではないかと感じたりします。

ちなみに、東洋思想に最初に触れてからはけっこう時間がたっていますけれど、私が算命学のブログを始めてからはまだ2年弱。
いくつかの応援や申し出を丁重にお断りしつつ、コツコツ続けていますが、それが真価を発揮できるのか?というのが分かるのは、まだまだこれからなのだろうと思っています。

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昨日はzoomミーティングの2回目を行いました。
ご参加くださった方、ありがとうございました😊

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6 件のコメント

  • 何事も本質に則った事が大事であり、真の愛情なんでしょうね。行動するにしてもそうですけど。この40年間の疑問に一つ腑に落ちました。ありがとうございます。先生、返信いつでも宜しいので気軽に待ってます(笑)

  • そうですね、3年くらい経つと違う道だと我慢できなくなるというか。
    トラブルがありつつもこの道だとやってみるけど、違うなとわかる。離れてみるとスッと心が解放される。
    若い子や有望視されている人が過剰に期待をかけられた割に発展しないというのは広くみるとよくありますね。
    まだ練られていないのに、神童と呼ばれるだけならまだしも直接的に干渉(過剰な持ち上げも)してしまうことの弊害ですね。
    そういった人たちのその後は、悲しいことですが悲惨ですね、、、
    物事の本質を見てのっとるには星でいえば陽転した鳳閣星の感覚あるいは龍高星の思考に当たるのかなと思うなですが、訓練でも習得可能可能だとも思うのです。
    とはいえ本質を捉えることが難しい事もありますね。

  • fun40さん、ありがとうございます。
    何事も「本質に則ったことが大事」なんですが、それと気付くには、一度「本質に則らない」ことで失敗しないとダメなんですよね。

    失敗をしないと、分からないことって色々ありますが、そういう「真の愛情」というのもその一つだと思っています。

    お気遣い感謝です。
    引き続きよろしくお願いいたします!

  • みくにさん、ありがとうございます!
    あまり星による違いというのは感じませんが、
    本質を見抜く暗合とかあると見抜ける傾向があるかな?
    という印象を持っています。

  • 自分の本質と違うことを望み、それを応援されても達成したとしても、幸せになれないように思います。私は真ん中に調舒星をもつものです。私が欲した仕事はその星から外れる物でした。今は欲した仕事と向く仕事の中間の仕事をしています。向かない仕事をしている時よりはるかに充足しています。私はきっと学者肌なのです。なのにそれを否定し、人に好かれよう、愛されようとしてきました。その結果、私を害する物や人を引きつけてきたように思います。今は調舒星を陽転させられるよういきていこうと思います。

  • ゆりさん、こんにちは。
    たとえば、自分を害するものや人を引きつけたということがあったとしても、それはプロセスとして必要であったのだろうと思います。
    算命学にしても、学び始めの頃は星を平面的に捉えがちですけれど、実はそれぞれの星は成長します。
    例えば、調舒星は孤独な質ですけれど、その孤独があるからオリジナルの伝達が磨かれるので、苦しい経験は不可欠と思います。
    応援しております。

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