「あの選択をしたら」をリアルに生きている人との遭遇

※ビートルズ好きの方は閲覧ご注意くださいませ。

さて、私はビートルズがキライです。

…厳密には、高校生の頃付き合っていた人がビートルズ狂で、
最初のうちは「ビートルズっていいかも💛」、
そしてそのビートルズが好きな「大人趣味の素敵な人💛」などと思っていたのですが、

だんだん慣れてくると、
要はリアルタイムの流行についていけない、
現在を否定し過去を過度に理想化する回顧主義者であるように感じられて、逃げ出すように別れました。

人生を生きていると、
「あのときあの選択をしていたらどんな自分だったかな?」
というその生き方をそのまま生きているような人に出会うことがあります。

そしてそういう人に出会って、

(たいへん恐縮ながら)
今の自分のほうが充実している。
今の自分の生き方のほうが好ましく感じられる。
今の自分のほうがずっと幸せ。

…ということを感じて、
「あれを選択をしなくて良かった」「この人生を選んでよかった」ということを確かにすることができたりします。

話をビートルズに戻すと、
何年か前にちょっと親しくなった方の結婚披露パーティーに呼ばれて伺ったことがあるのですが、
その旦那様というのがまさに「ビートルズ狂」で、
ご自身の結婚披露パーティにおいて自らビートルズを歌われるということがあり、
その歌い方、様子というのが、冒頭に挙げた「高校生の頃付き合っていたビートルズ狂」そのままで、リアルに眩暈がしたのを覚えています。

人間、そんなふうに、「あの選択をしたら」という先にある人生を他人が生きていることに遭遇することがあり、
それをもって「何かの縁」などと感じてしまって、その関係を維持しようとしてしまったりすることがあるのですけれど、

恐らくは、その出来事というのは、
そこから縁をつないでいく、その縁が何かにつながっていく縁なのではなく、
「あの選択をしたら」というその時点と比較して今はどうか?ということを確認することに意味があり、
「あれを選択をしなくて良かった」「この人生を選んでよかった」ということを確かにするために目の前に現れる陽炎のようなものなんじゃないかな?と思うのですがどうでしょう。

天中殺にせよ、対冲やら害、刑にせよ、
宿命をきちんと消化していると、その禍を環境に観るようになるものですが、
これも「現在対冲がめぐっている」という「気」がめぐっているそのことの確認のためのようなものであって、
そこに本質的な意味はなく、意味に気づけば陽炎のように消えていく(自分の意識のうえでは)ものであります。

つまり、「あの選択をしたら」をリアルに生きている人の登場というのも、
螺旋のように「気」がめぐっているこの世界において、同じ位置をめぐれば高度がちがうにしてもそれと気づくことができることの現れであり、
その高度が違うことの確認のために現れるのではないか。

当然、高度がちがうということはその基準地点より、高いことも低いこともあるだろうと思います。
今のほうがずっと幸せ、ということもあれば、あの頃のほうが幸せだった、ということもあるでしょうが、
いずれにしても、「あの選択をしたら」をリアルに生きている人の登場というのは、そういうことの確認のような意味があるんじゃないかな?と思いました。

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