星を稼働せる密度の話

本日は、朝から10キロ走ってきました。

だいたい週に2回は10キロコースを走ることにしていて、これもルーティンになりつつあります。
ゆるゆるランなので、多摩川を走っていると、ガチランの人には次々追い越されますがそれも含めて気分が良いです。

朝の空気というのは冷たくて、
なんとなく、冷たい水の中に入るような気分で走り始めるのですが、
水も入ってしまえば冷たさに慣れて楽しくなるように、
冷たい空気の中も、走り始めてしまえば気分よく、多摩川を泳ぐ魚🐟になった心持ちでゆるゆる走っています。

このところ、
オーディブルで安岡正篤先生のご本を流しながら走っているのですが、
安岡先生が「朝起きてぐずぐずしているのがいちばんダメだ」というようなことをおっしゃっていて、
朝の稼働を早めに設定し始めた、というのも朝ランの理由。

ちなみに、夏ごろは、一日予定がない日などは、
一日中勉強するとか講義を受けるとかしていたのですが、
そうやって過ごした日は、なんとなく「何もしなかった感じ」に苛まれたものでした。

家の中で一日過ごしてしまうことの「何もしてない感」。

勉強して、講義も受けてるなら「何かしてるでしょ」と思う人もいると思うのですが、
自分としては、「何もしていない」罪悪感ばかりが募ってしまい、苦しい感じがしていたのですが、
走るようになって、そうした「何もしていない感」がぴたりと消えた気がします。

恐らくは、
私にとって走ることが、車騎星と天報星に良い作用があるからかな?と思っています。
走る(身体を動かす)⇒車騎星に作用、
ランニング中に無心になれる(無心の中であれこれ考えが浮かんでくる)⇒天報星に作用、です。

とりわけ、天報星は、ランニング中にふと思い浮かんで「こうだったらいいな」とふと感じたことがそこでインプットされて、
その後、普通に生活していたら(そのコトを忘れていたら)、その間にそのコトが実現している、ということがけっこうあって面白いです。
天報星だけに自分で意図してこれをやろう、としてしまうとダメなんですが笑

さて、そんな中、ふと気づいたのですが、
密度高く生きていると(=行動に色んな意味を持たせて密度を高めて生きていると)、
行動することで得られるものが増していく感じ、
そして密度に応じて環境が変わっていく感じがあります。

その密度の高さに合った人たちとの縁(=同じ程度の密度で生きている人たちとのつながり)が出来る一方で、密度が異なる人との縁が切れていく。
その密度の高さに合った出来事や反応が得られるようになる一方で、その密度に合わない出来事や反応が減っていく。

但し、高密度の生活に不似合いな密度の低い選択を自らしようとすると、
心地の悪さ、気分の悪さ、ひいては体調の悪さにもつながったりするような印象もあるので、
密度が高いことが必ずしも良いわけではない、ということは申し添えておきます。

密度の高さについて加えるなら、
それは基本的に星図にある星に沿った分野で密度を積み上げていく必要がある、という点です。

それ以外のところでいくら密度を積み上げてもあまり意味はありません。
が、きちんと星図に沿った分野で密度を積み上げていけば、くっきりと世界の密度が増していきます。

なお、これはとても大切な点ですが、
この密度に、

世界を捉える深さやモノゴトの本質を読み取る鋭さ、
世の中における存在感や影響力、

というのは、間違いなく比例しています。

12月二週目のマガジンを公開しました。
九品仏の紅葉が見事だったのでその写真です🍁
https://note.com/kinugyokutoan/m/m4a084ee983f9

2020年12月一週目のマガジン🎄
https://note.com/kinugyokutoan/m/m793a7106f734

⭐︎2020年6月公開分(統合版)
https://note.com/kinugyokutoan/m/mf542b913af8d

⭐︎サークルへのご参加も歓迎しています📚読む専もOKです。
https://note.com/kinugyokutoan/circle

多摩川の桜並木の冬景色です。

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