火性の時代に向かう今、火性の星がない場合にどうするか?

【雑記】
サークルのほうで出た話なのですが、汎用性があると思ったのでこちらに書きます。
さて、先日、noteのサークルの ZoomMTGのときに、
「星図に火性の星がないので表現することが苦手です」
ということを複数の方がおっしゃっていました。

そもそも、なぜそんな話になったかといえば、
只今現在が経済確立期であり、庶民台頭期に向かっているということは、
木性から火性への流れにあるから、今は火性を意識する、
表現する、伝達する、ということを意識したほうがいいですよ、ということを話していたためです。

少し前から自然法の市来先生が、
「youtuber に風が来てる」
…というようなことをTwitterなどで発言されていて気にはしていたのですが、
なるほど、今は火性に向かう時代の流れだから、火性の権化のような youtuber が勢いを得ているんだなぁと納得した次第。

それをZoomでお話していたときに話題になったのが、
「火性の星がない場合にはどうすればいいか?」
というお話でした。

で、それを今日は書いておこうと思います。

そもそもですが、「ない星」は目指すべきではありません。
これはこれまで何度も書いているので繰り返しませんが、「自分の星図にない星」はそれを目標にしては歪みますので、

表現の星=火性の星=鳳閣星・調舒星

が、ないなら、表現を目指すべきではないのですけれど、
別の「星図にある星」を目指す手段として「表現」を使うというのは良いのではないかと思います。

つまり、
「ない星」はゴールにしてはいけないけれど、プロセスとして「ない星」を使うのはいいんじゃないかな、というお話です。

よって、例えば、
貫索星があるなら「自分の在り方を堅持するための手段として表現する」とか、
石門星があるなら「たくさんの人を取りまとめる手段として表現する」とか、
龍高星があるなら「体験知を得るために表現する」とか、
玉堂星があるなら「正統な学問や知恵をつまびらかにするために表現する」とか、
車騎星があるなら「正義のため、勝つために表現する」とか、
牽牛星があるなら「大義のため、役目役割として表現する」とか、
禄存星があるなら「みんなのため、奉仕として表現する」とか、
司禄星があるなら「信頼を積するためにコツコツ表現し続ける」とか、

…みたいな感じです。

なんとなく多くの人が「エネルギーの流れ」というのを軽視しているように思うのですが、
陽占の星というのはエネルギーなので、その流れをうまく流すことができれば「ない星」も使えるのだろうと思います。

それを「目的」にすることができない
=そこにエネルギーが溜めることができない

…ということであって、プロセスとしては使えるだろうということです。

そもそもですが、昨日書きましたけれど、人間は基本的に五行すべてを備えなければバランスある生き方にはなりませんし、
禄存星・司禄星などは、すべてを備えなければ本質的に光るのは難しい星です。
(禄存星・司禄星を持っている人の中には、それを軽視している人もけっこういるように思いますが。)

なので、目的(=エネルギーを溜めるところ)をある星に設定して、
ぜひ「表現する」ということに取り組んでみてはいかがかな、と思います。

ちなみに、
「表現する」ということを「みんなに対して」とか「プログの読者に対して」などと考えると、とても書けません、とおっしゃる方も多いです。

私も実際、「たくさんの人に対して発信する」などと思うと手が止まります。
なので、基本はFacebookに書くという目的で書いて、それをコピペしています。

そんなことを考えるに、
「話せれば書ける、書ければ話せる」だろうと思うのですがどうでしょうか。

実際、お話を伺っていると火性の星がなくても流暢にお話になる方は多いように思います。

「話すことと書くことは別」といわれる方もおられますが、ものの仕組みを考えれば、話せれば書けますし、書ければ話せそうですよね。

あとはたぶん、「慣れ」ではないかと思います。

女優、タレント、声優、司会者にしてエッセイストの黒柳徹子さんも火性の星はないですし、
元日テレの辛坊治郎アナも火性の星はありません。

火性の星を必要とする場合というのは、
表現において特筆すべき何かをもって売る場合ではないかな?
…と思います。

よって、例えばyoutube で語るその「語り方」ではなく「中身で勝負」するなら別に火性の星がなくてもいけるんじゃないかな?
…と、私は思っています。

ちなみに、火性の星があって「さすが!」と思う芸能人は、三浦瑠麗さんと林修先生です。

三浦さんは火性の準八相局(南方の車騎星を除いてそれ以外は鳳閣星・調舒星)ですが、
頭脳明晰で哲学者に向く、といわれるそのとおりの人だな、と思いました。

あのくらいのレベルで表現をしようとするなら火性の星も必要そうですが、そうでなければなくても使えるように思います。

林先生のほうは、胸が調舒星で東方が玉堂星。
なるほど、予備校講師という切り口で世に出て、あの独特な表現と完璧な知識を上手にプレゼンテーションすることで調舒星を完全消化している感じはやはり火性のある人だなぁと思いましたがどうでしょうか。

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Photo by 五玄土 ORIENTO on Unsplash

2 件のコメント

  • 先日のZoomMTGではお世話になり、誠にありがとうございました。とても参考になるお話ばかりで、アドバイスいただいた事など少しずつ取り掛かっています。
    ところでミーティング中すっかり忘れていたのですが、私は陽線にも陰線にも火性が無いと発言しましたが、よくよく考えたら初旬調舒星が巡っていました。大運法で初旬に巡る星は生涯その星の影響を受けると教わったのですが、この場合は調舒星(火性)を実は所有していたという事になりますでしょうか?
    また、正式に陽線に現れるより力が弱いのでしょうか?(星の力を使いこなすには陽線に持っている人より更なる努力が必要?)この場合は「無い星を目指す」には当てはまらないと考えてよいのでしょうか?

  • いちごさん、返信が遅くなりました。
    zoom、こちらこそありがとうございます✨

    さて、初旬にめぐる星というのは、人間がこの世でスタートを切るときのデフォルト設定のようなものなので、とても強い影響があります。
    自分にとって「世の中ってこういうものだよね」という枠組みのベースが初旬で、そこから様々な経験をして人間としての厚みを備えていくので、人生を通して常にそのスタート地点のことは記憶としても経験としても刻印のように残り続けています。
    いわば「原体験」といったところ。よって、その初旬でめくまる調舒星というのは、使いやすく馴染みがあり、懐かしさを感じることすらあるものだと思うのですが、
    とはいえ、「ある星」ではないので、これは「サブ的に使う」「ベール越しに使う」のが良いです。

    何をもって「サブ」なのかというのも難しいのですが、

    孫子の兵法において「最も得意なものではなく2番目に得意なものを商売にせよ」とあるように、ある星とセットで使うのが良いだろうと思います。
    その場合、得意なものが調舒星か、2番目に得意なものが調舒星かは問いませんが、意識として「サブ的に使う」と良いと思います。

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