狙ってうまくいく人、いかない人

昨晩、対冲の話を書いたら、何人かの方から、
「私も対冲がありますか?」
と質問がありました。
驚いたのは、その方々がみんな生月中殺の人であったこと。

なるほど、たしかに生月中殺でも同じような現象が起こります。
(私は生月中殺もあります)

中殺は、その場所に枠がないため、その場所に関することはコントロールができないということになります。
生月中殺は自分自身と結果の場所が中殺されるので、自分の本心や結果についてコントロールできず、思い通りにはなりません。

☆○○
○✖︎○
○✖︎✖︎

生月中殺は✖︎の箇所が中殺されます。

生月中殺のある子供は「社会の子供」として育てるのが良いと言われます。
これは、親が自分の後を継ぐように育てると家系という枠の中で生きることになるため、枠のない宿命中殺のある子供は消化不良を起こして陰転するためです。
よって、
生月中殺のある子供は、親のエゴを捨て、社会で役立つように育てるか、家から出して(養子に出して)育てること。
そしてある程度成長したら、なるべく早く家から出すのが良いとされます。
生月中殺があって生家を出ず親の庇護の下にあると、社会に出難くなり、陰転しやすくなります。

大人になってからも、
自分自信の場所(主星)が中殺されるので、自分の利益や自分の評価のために頑張ると思い通りにはなりません。
対冲は壊れたり分離したりする動きで、
中殺はコントロールできないという動きですが、
結果としては同じような現象になることもあります。

ではどうすれば良いかといえば、
照準を、自分とか家系、あるいは親や家族のため、というところから、
世のため人のため、社会のため、というところに移すと良いとされます。
宿命中殺のある人は陰徳を積むのが良いといわれるのはそんな理由によります。

生月中殺のある人が、
自分や家系ではなく他人や社会のために頑張ると、普通の人より大きなことができます。
自分や家族、家系という枠がないので、家族や家系の中では消化不良を起こして陰転し、家系にあっては落ちこぼれになったりするわけですが、
その枠を超えた環境で、より広い世界へ向かうと水を得た魚のように活躍したりします。

鯉は池の中にあって鑑賞され賞賛されますが、鯨は海の中でこそ本領発揮できるようなもの。

松井秀喜選手や、松下幸之助さんは生月中殺のある人ですが、
松井選手のように「for the team」とか
松下幸之助さんのように、「庶民の生活のため」「人材を育てる」ということを目指すと、大きなことができます。

何度か書いていますが、
小泉純一郎元首相や安倍晋三首相も生月中殺のある人です。
賛否ありますが、彼らが生月中殺を保ちながら首相にまで上り詰めたことを考えると、その照準は私心ではなく社会にあったのであろうと思われ、
「日本を良くする」ことを目指していたんだろうと思います。

生月中殺のある人が小さくまとまろうとするとあまりうまくいきません。
よって、常識的につつましく生きていこうとすると様々な障害にぶつかることになります。
実力の6割7割を発揮しながら穏当に生きていくことはできますが、本人の意識としては「もっとできるのに」という思いがくすぶり続けます。
それでもそれはまだマシなほうで、悪くすると社会不適合な人格と生活に堕すこともあります。

生月中殺というのは枠がないので、
昇れば天井なしですが、
堕ちるときも際限がありません。

なので、生月中殺のある人は、
親に教わった世界観や普通の人のいう常識を離れて、
小さな世界にまとまるのではなく、
より大きな世界に向かうことが望まれます。
そこには心理的なハードルがあり、
保身やエゴ(そんなことを言ったりしたりしたらバカにされるかも?という思い)が足止めするかもしれませんが、
それを超えていく必要がある人です。
それを超えていかなければ、陰転する、平均を行くことができにくい人であるということもできます。

なお、
狙いを定めて一生懸命頑張ったらうまく行く人もいますか?
という質問もありました。
日支と月支か日支と年支に支合があれば、努力の自然な流れの帰結として物事が成ります。
但し、努力の順当な結果が出るということなので、努力なしに結果が出るわけではありません。

ちょっとした努力が思いのほか大きな結果になるのは、日支と月支、日支と年支に半会のある場合ですが、
「大きな結果」にはなるものの、それが良いものか悪いものかは問いません。
それが自分にとって嬉しい結果か嬉しくない結果かは、その時に巡る星によります。

Photo by 五玄土 ORIENTO on Unsplash

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