事物は屹立せる山の如く

ちょっと難解な駄文です。

小林秀雄先生は、それがいつの時点においての気づきであったのか分かりませんが、

この世界が揺るぎない構築物であり、
他人というのは動かすことも変えることも出来ない確固とした存在であって、
出来事というのは起こるべきことが避けがたく起こるものである、

…ということを見抜いたのだろうと思います。

何かが起こる、というときにそれは段階的に起きるのではなく、
ただその現象がそこに起こる、

誰かと愛し合う、というときにそれは徐々に心を通わせるのではなく、
ただその2人の間においてそれは瞬間的に起こる、

誰かと対立する、決定的に異なる、というときにそれは、
何かきっかけがあって対立したり異なったりするのではなく、
ただ対峙したその瞬間において対立したり異なったり「している」、

何か志を実現する、というときにそれは、
正しい志を立てそれに取り組む、ということで実現するのではなく、
ただ志が立ち、実現する。

こういう考え方を、
現代社会のセラピストとかカウンセラーとかいうような人たちは真っ向から
否定するような気もしますし、
そうでなくても、「徐々に、段階的に何かが成る」ということを信じたい人たちには、
とても非常識なことのように思われるかもしれないのですが、

算命学を学んでいると、
こうしたモノゴトの捉え方はとても分かりやすく、
これまで混沌としていた理解が確かな枠組みを得て腹に収まるような感じがあります。

陰占の命式がつくる「有形のカタチ」とは、
そういうものであろう、ということです。

なお、物事がくっきりと揺るぎなく確固としたカタチとして存在しているなら、
それはどこまでも揺らがないのかといえば、そうではなく、

確固としたカタチを揺らがせ、妥協・妥結というようなことにつながる柔軟性に寄与するのが干合・暗合であるのだろうと思います。

これはつまり、
干合も暗合もなければ、
人にせよ事象にせよそれはまるで柔軟性なく、
ブレることも揺らぐこともなく、
ひたすらに屹立せる山の如くそこに在る、ということになるのだろう、
ということです。

先日、noteのほうで、干合・暗合がまるでない人というのがどういう人間性となるのか?
ということを書いたのですが、

本日、小林秀雄先生の『匹夫不可奪志』という文章を読みつつ、
上記のような理解を得て、その意味するところがくっきりと腹落ちしたので、記録として書いておきます。

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