松居一代さんとオリジナルの生き方

松居一代さんがニューヨークはマンハッタンに超高額レジデンスを購入されたそうです。
松居さんは、あまりテレビなどで華やかに登場することはありませんが、
そんじょそこらの芸能人や実業家などより余程稼いでいる、隠れた成功者の一人。

マスコミ含め、一般人にはあまりよく言われない芸能人ですが、
細やかな気遣いや筋を通す人となりなどから、実は周りの人には信頼され、支持されている人です。
同じタイプに神田うのさんがいます。

 

彼女たちを見ていて思うのは、
オリジナルを発信し続ける人はたとえ世論でどういわれたとしても、
神様の追い風を受けるんだなぁということ。

自分の生き方を確立し、
自分の好みを明確化し、
それが世界にないなら自分で創ってしまうほど、自分の求めるもの、自分の在り方にこだわり続けるという点で、
彼女たちはピカイチの人です。

 

算命学では同じ音は並び立つことが出来ないといわれます。
律音の人同士の場合、考えていることが自分と瓜二つなので仲良くなれるなどといわれることもありますが、
本質を行き始めた途端にどちらかが淘汰される関係。
この意味は、同じ音は2つはいらないということであり、
誰かと同じ、誰かの真似の生き方をしていると、自然の中でどちらかが淘汰されるということでもあります。

 

これを逆にいえば、
彼女たちのようにとんがってキャラ立ちし、自分の本質にこだわり続けて唯一無二の在り方を追求する生き方というのは、自然の中で存在が際立ち、追い風を受けて活躍できる生き方であるということ。

つまり、
彼女たちのような生き方こそ、
算命学的成功法則に則った生き方であるといえるのだろうと思います。

 

彼女たちの毒舌ぶりに眉をひそめている人たちは、「なんで?」と思うかもしれませんが、
算命学では善悪を論じません。
どのような在り方、どのような性質であっても、相手や環境によって良くも悪くもなり得ます。
あらゆることは中立なので、
良いと評価される環境であれば、どのような性質も支持され評価され得ます。
例えば殺人などは現代社会で許されないものなわけですが、それが戦時中であれば勲章ものであったりするわけで、
時と場所を得ることができさえすれば、あらゆる性質あらゆる要素が賞賛の対象になりえるといえます。

 

良い悪いのモノサシは人により立場により異なるので、
絶対的な「良い」もなければ絶対的な「悪い」もありません。

 

では算命学的に何が「良い」で何が「悪い」かといえば、
誰かと同じ、とか誰かの真似、自分を表明しないあらゆることが「悪い」で、
自己の表明、オリジナルが「良い」ということになります。
※この「オリジナル」は宿命に則っていることが前提です。

 

大事なのは、
自分の人生を生きること。
森羅万象が織りなす壮大なタペストリーの中で、自分の色の糸を表現することです。

 

しばしば、
誰かをロールモデルにすることの愚や、
誰かが作った居場所に乗っかることの愚、
流行りに流されて目先の目ぼしいことを自分の道としてしまうことの愚について書いていますが、
それはこうしたことであったりします。

 

ちなみに、
松居一代さんにせよ、
神田うのさんにせよ、
身近な人には支持されるのに、
大衆からは支持されない。
その理由について考えていたのですが、
多分、星図土星の星がないからではないかと思いました。

土性の星とは禄存星と司禄星。
引力本能の星です。
人を惹きつける作用のある星ですが、
この星が星図にない人は、
大衆の支持を得ることが少ないです。
(普通命式の場合です。完全格の場合はまた別の考え方があります。)

こうして考えると、
星図に土性の星のない人は、
大衆ウケを目指すより、
身近な人や自分の性質に共鳴してくれるコアなファンを増やしていく生き方のほうが合っているのだろうと思います。
自分というものに拘った先に後から人が付いてくるというか。

 

なお、ちょっと補足すると、
松居さんは星図に土性の星はありませんが、大運で2011年から10年間、禄存星、陽の土性がまわっています。
(しかも大運の干支は壬子なので守護神回り)
松居棒が当たったのは2006年ですが、それを契機に圧力鍋やら洗剤やら枕やらをプロデュースし100億ともいわれる資産を築いたのはこの大運。
よって、星図になくても大運で土性の星が回れば、大衆の評価も得られるということです。

そして、船越英一郎さんと離婚されましたが、
松居さんにとってこの大運は6旬目でもあり、
このタイミングでそれまでの生き方を清算して自分らしく生きていくには良かったのかもしれません。
気になるのは松居さんも戊亥天中殺の人。
今回の天中殺中のアメリカでの大きな買い物が吉と出るか凶と出るか、注目しておこうと思います。

Photo by 五玄土 ORIENTO on Unsplash

3 件のコメント

  • とある知り合いの芸術家の方が学校でされるデッサンの絵が嫌いと言っておられました。
    僕はそれを聞いて、たしかにと思って彼女に言ったんですよね。
    みんな同じ、お利口ちゃんで画一的
    芸術というものの本質からは程遠いですよね、と

    マーケティング、流行を追うこと、人真似…
    これらをおこなっても例えば僕の身近な例でも作家になることはできるんですよ。何名かいるのですけれど。
    でも、売れない。それは作品に読ませようとする、読みたいと思わせるパワーを感じられないからだと思っています。

    彼らは人間的に良い人なんですけれど、毒がないというか。
    算命学的に偏った人もいて、その方は今後どうなるか楽しみなんですが、その方も含めてどうにも普通すぎるというか。

    他のオリジナルという例でいえば性癖的に尖ってその道を進んでいる人や自分のあり方を明確にした方
    、天将二つ持ちでほぼ一人で同人ゲームを作り続けている方などは求心力があったり、作品が合わないと思っても尊敬できるところがあります(普通の人が尊敬できないというわけではないのですが、広い意味での芸術といえばやはり普通の人では面白みに欠けると実際のところ思います)

  • みくにさん
    自分の感性感覚、価値観を大切にすることができるところまで確立されているのであれば、それを邁進するのが良いです。
    そしてどこかでぶつかったら、修正しましょう。

  • コメントを残す

    メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

    CAPTCHA