常識と「算命学の理論」との狭間で「思い切る」方法

昨日、天堂星についてちょっと深めのことを書いたところ、
その投稿に「いいね!」をつけておられたのが、算命学を学んでいる方だけでした笑

単純に分かりにくかったのか、
内容的にネガティブと思った方が多かったのか分かりませんが、
公開で書くべきではなかったかな、とちょっと反省しました。

ちなみに、noteのほうではもっと厳しめのことも割とガツガツ書いていますが、
基本的にネガティブに見える要素も宿命に応じていればそれはそれでマルだと認識していれば、
それほど気にならないものだろうと思います。

とはいえ、
一般的な常識の世界観で眺めると、「厳しい」「ネガティブ」という印象になることもある、
このあたりは、常識と本質の間での匙加減というのをもう少し意識しようと思います。

「常識とは異なるけれど、かくあるべし」の例を挙げれば、

例えば西方で対冲があるときなどは、
いかに世の常識においてお金は溜めておくのが良い、財産はしっかりもっていたほうが良いとされていたとしても、
ガッツリ散財したほうが良い、ということもあります。

実際、このあたりを思い切りよく算命学の理屈に応じられるかどうかが人生の発展の有無を決めるものであるように思います。

もちろん、位相法は陰占でり、無自覚の世界なので意識的にどうこうする、ということではないのですが、

世の中の最前線を突っ走ろうとしているような人の中には、
そういうタイミングで「意識的に全力で抵抗する」「意識的に財を握りしめて死守すようとする」というような、
ある意味、無駄なことに全力を投じるような人もいて、

そういうタイミングで、「いや、そこでは楽しく散財しちゃったらどうですか」
…と言ってあげるために陰占を使えると良いな、と考えます。

あるいは、牽牛星に鳳閣星がめぐれば、地位や名誉が壊されるわけですが、
そういうタイミングで地位や名誉が脅かされるたびに驚いてはその地位や名誉を死守しようと全力で頑張る、
というのは、算命学という観点でいえば、かなり無駄な努力でもあり、

牽牛星という仕事の星が鳳閣星というのんびり遊ぶ星が剋すタイミングなら、
むしろ仕事を怠けてゆるくのんびりしてこそ穏やかに過ごせるもので、
さらにいえば、そういう運気の流れなら、そうやって怠けてこそ宿命の消化にもなり、発展の芽もあるというもの。

とはいえ、
そうはいってもそれを実際にするには「思い切る」ということが必要であり、
案外とそういう機運と分かっていてもそのとおりできるものでもありませんね。

では、どうやって常識とは異なる在り方を採用するか、そのために自分の思いをいったん切るか、といえば、

「起こることに身を任せる」というような大きな器で泰然自若にモノゴトに対峙する(その精神力を養う)というアプローチが一つ、
(これはこれで、効果的と思います、「起こることは正しい」ので抵抗しないほうが良いです)

もう一つは、結局のところ、日々の学びと検証による知識の蓄積に対する自負と自信からのアプローチであろうと思います。
知識を単に知っていることとそれを活用できることの違いは、そういう蓄積と自信にあります。

あるいは、
だいたいにおいて「常識」とは「大衆的」と同義であり、
パレートの法則に寄るまでもなく、本質的にうまくいくことというのは常に非常識なもの、という視点というのも有効と思いますがどうでしょうか。

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