中庸と成長の関係

有頂天にならないことの大切さ、
というのは、東洋思想でいうところの「中庸」に通じるな、と思います。

「有頂天」という言葉の本来の意味はさておき(元々は仏語ですが)、
一般的には俗用である「絶頂を極める」の意を転じて、頂上世界に安住して自分を忘れてうわの空である状態をいいますけれど、

人生万事塞翁が馬、であることを思えば、
成功すれば慎重さを備えることが必要で、失敗すれば楽観こそが大切であるわけで、
それ即ち「中庸」であろう、というお話です。

少し前に、「いい学校に行く」ことの意味は、結局それが「ふつう」だと知ることにあるのだろう、ということを書きましたけれど、
先日、久しぶりに会った友人が同じようなことを言っていて、あぁ、この人とは本当に考えが合うなぁと思いました。

その友人のお子さんは、今年某有名中学に合格し入学されるそうなのですが、
受験前は「あなたが世界で一番優秀だ」とほめそやしていたけれど、合格したら家の掃除にこき使っているその理由が、
「安定した精神を育むため」だそうで、

その話を聞いて
有頂天にならないことの大切さ、
というのは、東洋思想でいうところの「中庸」に通じるな、
と思った次第。

人生というのは、常に良いことと悪いことがぐるぐるめぐるように出来ているものだということをいうと、
「大成功した人はどうなのか?」
ということを問われることがあるのですが、

大成功した人も、大成功したらその「大成功のライン」が「ふつう」になって、またその「ふつう」をベースに良いことと悪いことがぐるぐる起こるようになります。

人生というのは螺旋であるということを前に書いたことがありますが、
そうやって、上がれば上がったところからぐるぐるめぐり、下がったら下がったところからまたぐるぐるめぐる…。
なので、世の中の上のほうにいても下の方にいても、同じように良いことと悪いことがぐるぐるするのは同じです。

位相法というのは、12年スパンでぐるぐると良いこと(合法)と悪いこと(散法)がめぐるわけで、
これは万人共通であることを思い起こせば理解しやすいところと思います。

ちなみに、「上がる」というのは一般的に、位相法における半会とか支合とかの合法がめぐるところで起こります。
では「下がる」のは散法かといえば、散法で必ず下がるわけではなく、だいたい散法は試練が起こるもので、

それをうまく乗り越えればそこでは維持でき、次の合法のときに大きく「上がる」ことができる一方、
うまく乗り越えることなく逃げたりすると、そこかその先かで「下がる」ということもあります。

ただ、人生は「螺旋」であるということの意味は、基本的には「上がる」のが既定路線であるからで、
きちんと適切に(=逃げたり狡いことをしたりすることなく)生きていれば「下がる」というのは基本的には起こりません。
…全体として「上がる」なかでは、相対的に「下がっている」という体感はあるかもしれませんが。

冒頭の「有頂天」の話に戻せば、
有頂天になる=頂上世界に安住して自分を忘れてうわの空である状態、に陥ってしまうと、
それは油断につながり、本来、「維持」すべきところで「維持」ができずに「下がる」ということにつながるのではないかと思います。

言い方を変えれば、
中庸を欠いて大きく上振れてしまうと、その反動で大きく下に振れてしまうということで、
つまりは、安定的に「上がる」ということを実現するには、
中庸=受験前は「あなたが世界で一番優秀だ」とほめそやしても、合格したら家の掃除にこき使うような育て方が大事なのではないか、と思いいましたがどうでしょうか。

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