肥料の先にある小康状態と予定調和

先日来、「肥料」について書いていたのですが、
それについて昨日、近所の友人と話していましたら、

「あの肥料の話って、『カモられてる』ってことだよね」
と教えてもらって、あーそれもあるな、と納得した記事がありました。

その記事によると、
カモられる人には特徴があるそうです。

例えば、
「何者かになりたい」
「特別な存在でいたい」
「人よりすごい存在でいたい」…と、承認欲求と理想が高く、

それでいて、
「具体的に何になりたいのか?」というビジョンがない、
「これになりたい!」という思いはあっても、それを実現するための能力や才能がない、
あるいはそれを見つけるための努力ができない、
ラクに簡単に、「特別な人間」になりたい、

…みたいな人。

だいたい、誰かが旗を振るそれに乗っかる人というのはそういう人ですが、
なるほど、私はそういうカモになる人、というのがキライなんだと思います。

年末、近しい人たちと話しつつ、
私はその「旗🚩を振っている人」がキライなんだと思っていたのですが、
本当は「カモ🦆」になっている人のほうがキライで、
その「カモ」になっている人の能力・才能が適切に、そして本質的に発揮されないのをみていて苛立つがゆえに、
旗を振っている人が許せない…と、そんな仕組みです。

算命学というのは、個の才能の本質的な発揮を目指す学問です。
その個を発揮することができる環境、
その個が最も最適に発揮できる方向性、
その個が最も世の中に役立つ能力とその使い方、
というのを、森羅万象の法則をもって説くのが算命学なので、
その道の反対を行く人を許容するのは、自分の学ぶ学問を否定するようなもの。

ちなみに、多分これが、禄存星とか石門星とかある人なら、そうはいってもうまくやるのだと思うのですが、
このあたり、三奇星がそろう偏った命式、そして正義の車騎星が強いと、どうしたってそういう「カモのグループ🦆」には与しがたいものがあります。

そういう個が個としてキラキラと輝きながら生きることから遠ざかる、
カモになるような、肥料になるような生き方に向かっているのを見るのが耐え難い、とでもいうか。

もっとも、
実は世の中には、能力・才能が適切に、そして本質的に発揮されることを望まない人もいますね。

例えば、家庭の縁がないような人が家庭で家族と強いきずなをもって過ごしている場合、
能力・才能が適切に、そして本質的に発揮されてしまえばその家庭との縁がないその宿命が顕在化することもあります。

その意味では、環境と宿命の一致が必ずしも当人にとっての「幸せ」とは限らず、
環境と宿命の不一致の先に、小康状態的な幸せがあるなら、それも良いといえるのかもしれません。

ちなみに、そういう小康状態的な幸せというのは、当人の代では光ることが難しいということになるのですが、
その子供の代、孫の代で花が咲く、ということもあるので、大きな視点で見ればそういう在り方も否定すべきものではなく、
それをもって「予定調和」といえるのかもしれません。

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