顔や名前の露出と学びの相関関係

算命学に限りませんが、ネットやブログで集客やら商売をされている方の中には顔を出している方がけっこうおられます。
そんな中で、私のブログでは基本顔を出していないことについて質問されることがあるのですが、これについて「本業があるため」というのはもちろんあるものの、それ以上に、

「自分より内容にフォーカスして欲しい」
そして、
「顔が売れると成長が止まる(学びが停滞する)」
ということに依っています。

顔を露出する、顔を売るというのは、
火性的な意味があります。
いってみれば顔を出した方が大衆には届きやすいということで、
広く何かを伝えていく、
たくさんの人を相手に何かを伝えていく、
という場合には、とても有効です。

しかし火性と水性は相剋です。
つまり大衆に訴えることと豊かな知恵を深めていくことはどこかで相反するため、
私のように学びの途上にある人間が顔を露出し多くの人に訴えていこうとすると学びが停滞することになります。

安岡正篤先生がそのご著書で、
「有名になると方々から仕事が舞い込んでくるが、人間、そうなると学ぶことができなくなる。
よって、無名のうちにしっかり学んでおくことが大切である。
功を急いではいけない。名を挙げることを焦ってはいけない。」
というようなことを書かれています。

もちろん、
学びを深めるよりも生活の糧を得ることの方が優先する人もいて、
またそういう人はある程度学びが浅くてもそれを大衆に広く伝えていくという役割を担うので、
学びを深めるよりも先に功名をとりにいく、そのすべてがダメだというわけではありません。

ただ、私のような仕事があって生活の糧はそこで稼ぎ、学びに集中できる環境にある人間は、
功を急ぐことなく、名を挙げることなく、学びを深めることに集中する役割を担うのだろうと考えています。

このあたりは、
命式から見る自分の活躍のしどころや、
大運の流れから見る活躍の機運がタイミングの時期にも絡むので一概にはいうことができないのですが、
算命学のような「学び」の世界が北方の星の司るところであり、時間の経過により良さが出てくることを考えれば、
若いうちはしっかりと学びの時期をたゆむことなく過ごしつつ精進を重ねる在り方は理にかなうように思います。

中でも、玄流局のような様々な体験や実践が学びを作っていく星図の人は、ある程度、時間や体験を重ねた上で学びを深め、その深まった学びの先に自然と露出が増えていく、ような在り方、人生の進め方が良いのでは?と考える次第。

玄流局というのは、金→水、あるいは土→金→水と流れて学びが極まるのがその姿ですが、
そういう星図の人は、取り分け学びや学問の分野で名を挙げることや功を成すことを焦るべきではないだろうということです。
(その意味では、学びだけを純粋に極めることには向かないわけですが)

ちなみに、
ゲッターズ飯田さんが大衆向けの露出「テレビや本など)マスクをされているのは、干合・暗合があるからだろうと私は思っているのですが、天干が干合するとか年支の28元と暗合するとかいうタイプの人も顔を出さない(=自分を演出できる)ほうが良いのかもしれないですね。

Photo by 五玄土 ORIENTO on Unsplash

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