実気のみ、かつ無条の人

私の周りには宿命中殺や異常干支のある人、いわゆる「虚」を持つひとが多くいます。
「虚」のない、「実」の人で近しい人は干合支合があるとか律音があるとか、何かしら特別な縁があるような人くらい。

「虚」のある人は世の常識の中ではある面では「非常識」な人ともいわれますが、一般常識に囚われない感じの人が確かに多くて面白いです。
ちなみに、私を含め、まわりにいる「虚」のある人は、「虚」はあっても命式自体は割とバランスしているので、普通に生活していると「普通の人」でもあり、社会に溶け込みやすい人でもあります。

そんな中、先日会った友人は紛う方なき「実」の人。
宿命中殺はもちろん、異常干支もなく、干はすべて干合変化しない干(庚と己のみ)で、位相法は無条。
(「無条」というのは位相法の半会とか支合、冲や害などが全くない場合のこと)
実社会に根ざし、揺らぎもなく、何一つ変化しない人です。
確かに常識人、
しかし一方で、「虚」はないけれど命式自体には偏りがあり、非常識ではないけれど、「変わった人」ではあります。

そのことに気づいて、
「虚」と「偏り」というのは次元は違うけれどどこか似たものがあるのかもしれないな、と思いました。

例えば、
地支が対冲に合う場合と中殺される場合というのは次元が異なるものの、どこか似た現象として現れたり、
天将星の力強さを最身弱の星が瞬発的に持ち得たりして、その瞬間だけを切り取れば天将星と最身弱の星が同じように見えたりします。

そんなふうに、背景となる理論や現象につながるアプローチは全く別のものであっても、
現象としては同じような形で結実することがありますが、
「虚」と「偏り」もそんな結果として似た現象になるものの一つであるのかもしれません。

ちなみに、
位相法が無条の人はマイペースな人といわれます。
そしてさらにまったき「実」で、干も変化しないということが加わると、
マイペースな上に相当に頑固、そして実社会の現実的な世界観に立脚している人であり、かつ裏のない良くも悪くも見たままの人、ということです。

今それを知ってその友人を見ているとなるほど、と思いますが、
それと知らない頃は、粗暴な言葉やストレート過ぎる物言いに、いちいちカチンときたりイラってしたりしていた時期がありました。

宿命的に、まったく変化することのないマイペースな人、そしてそれをもって現実を生き、裏表もない人なので、
今思えばそれが素直な姿なわけですが、それと知らなければ単に失礼な人にも映るもの。

その良さを理解してもらうのに時間がかかる感じもしますが、
健やかに周りの理解を得て生きていけるといいなぁと思います。

Photo by 五玄土 ORIENTO on Unsplash

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