ソリッドな社会、リキッドな社会、ガスな社会?

このところ、
堅固な現実を生きている人とフレキシブルなビジョンを生きている人の二極化が進んで、
もはや互いの意思疎通が困難なところまで来ているのではないか?
と、感じることもあります。

 

どちらが良いとか悪いとかでなく、
それぞれに役割があり、
堅固な現実を生きている人たちは社会の仕組みに則って組織や体制の中で活躍し、
フレキシブルなビジョンを生きている人たちは自由な発想や美しい世界の顕現に心を投じています。

 

前者が有形・実業の世界において基盤や要塞を構築する一方、
後者は無形・虚業の世界において精神の城を築いています。

 

ジグムント・バウマンという人が、
20年くらい前に『リキッド・モダニティ:液状化する社会』という本を書いているのですが、
その本では、

堅固な基盤に根ざした秩序ある社会をソリッド・ソサエティ
基盤を持たず自由に人生を楽しむ社会をリキッド・ソサエティと定義し、

当時においては後者の勢力はまだ不十分と書かれていました。

 

でもなんとなく20年の時を経て、最近はそれぞれの勢力が拮抗してきたのではないかな、と感じたりします。

 

感覚ですが、
ソリッド65%、リキッド30%、そしてガスが5%
みたいな。

そしてそれらは、
相互に可変的であるのに、それぞれの状態にあるときは互いに相容れない。

 

バウマンの本には触れられていない「ガス」は私が勝手につくったカテゴリで、拠点を持たず拘りを持たず、世界中あちこち飛び回って様々な人とフレキシブルに仕事をするお金と自由とスキルのある人たち。

多分2000年当時はそういう人はほとんどいなかったと思うのですが、ここ20年でそういう人たちも随分増えたように思います。
そして最近の世の中では、最もキラキラしているのが、この「ガス」な人たちであるように感じます。

 

ソリッドな社会から少しずつ液状化し、その一部は既に気体化していっている、
それが時代の流れなのではないか。

 

算命学では、時代に合った人が繁栄し、時代に合わない人たちは淘汰されていくと考えます。

 

例えば戦国時代や江戸末期〜明治初期、あるいは戦時中〜復興期のような動乱期には下格の人が増え、
平和な時代、文化文明が発展する時期には上格の人が増えますし、
社会のハードなインフラを整備する時代には現実的な仕事に合う運型の人が増え、
情報やソフト、文化を発展させる時代には、
精神性の仕事に合う運型の人が増えたりします。

 

前にも書いたことがありますが、その割合は一定ではなく、時代の方向によって常に変化しています。

 

世の中の方向がソリッドからリキッド、ガスに移行しているのだとすれば、
それに合った人たちが活躍しやすくなるということなのではないかな?
という仮説のもと、身弱・身中・身強、そして現実星・精神星、純星・濁星など、どう活躍するのがベターなのか、ということを考えている最近。

Photo by 五玄土 ORIENTO on Unsplash

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