天中殺月に考えたこと

このところ、ブログアップが途切れがちですみません。

色々忙しい、というのもありますが、
それよりなにより、イマイチこれ、ということが思い浮かばず、どうにもこうにも筆が進まず…。

確か、昨年の今頃もそんなことがあったと思います。
なので、多分これも一つの「波」なのだろうと思います。

昨年も、一年くらい、毎日せっせと更新していたのに、ふと書く意欲がすーっと消えていって、どうにも書けない一週間くらいがありました。

理由は分かっていて、月の天中殺の期間に入ったからだろうと思っています。
ちょうど、今月・来月は戌亥天中殺の人は月天中殺。
一年のうちに必ずある2カ月間の休息の時間です。

と、そんなわけで、公開ブログのほうはちょっと遅れがちですがご容赦くださいませ。

ちなみに、note のほうはそれでも一生懸命更新しています。

なぜ note のほうは書けるのだろう?と考えていたのですが、多分、こちらは、勉強とセットだから書けるのだろうと思います。
勉強してインプットしたことを定着させるためにアウトプットする、
その学びと習得のプロセスとしてのアウトプットだから書けるのではないかな?…ということです。

公開ブログにせよ、note にせよ、基本的に、
「自分にとって新しい発見があったこと」とか、
「通り一遍に語られることをより深くできたこと」というのを書くようにしています。

なぜなら、
「通り一遍のこと」であれば、別に私が書かなくても誰かが書いているはずなので、私が書く必要はないからです。

私が書くべきなのは、「私が気づいたこと」「私の中で深い理解とともに発見したこと」。
いや、もちろん、私が書く内容についても、既にそんなことは知っていますよ、という方もおられると思うのですが、

自分が感動とともに「気づいたこと」や「発見したこと」なら、
それは私がその感動というベールで包んでその同じ感動を届けることに意欲を持つことが出来ます。
通り一遍のことを書くのはなんだか「作業」みたいな気がするのですが、
自分の感動を届けるために書くのは、自分にとっても何かが湧き出てくるような体験になります。

学んだことから何かキラキラしたものを取り出すプロセスとでもいうか。

その意味では、
私が学ぶことをやめてしまったら、
つまり、知ることや発見することへの喜びや感動を得ることがなくなってしまったら、
書くこともできなくなるのだろうな、という気がします。

人を突き動かすもの、というのは人それぞれ異なります。

けれど、それが何にせよ、
人間を突き動かすもの、
そういう何かがないと、人は行動に向かうことができないのだろうと思います。

だとすれば、
何が自分を動かすのか?
自分の心が動くのはどういうときなのか?
…ということを、きちんと把握することはとても大切であり、

行動に向かいたい、
大きなアクションを起こしたいと思うなら、
その自分にエンジンをかける何かの近くに身を置く必要があるのだろうと思いました。

そうでないと、時間ばかりが無為に過ぎていってしまいます。
人生は、食べて寝て、楽しんで生き永らえればそれでよし、…という類のものではないので、
きちんとエンジンをかける何かのそばで生きていくのが良いのだろうと思います。

天中殺は
「天の気を吸い込む時間」
「神様の声に耳を傾ける時間」
…といわれたりしますが、
ここ数日、空っぽになって過ごしてみて、そんなことを考えました。

ちなみに、空っぽになるには、ランニングがお勧めです。

⭐︎2020年10月三週目分のマガジンを公開しました。
格の考え方、破格・再建格の考え方にも触れています。

https://note.com/kinugyokutoan/m/m57f9c6cb2849

⭐︎2020年6月公開分のマガジンを統合しました。
サークルに投稿したものを外部公開したものです。

https://note.com/kinugyokutoan/m/mf542b913af8d

Photo by 五玄土 ORIENTO on Unsplash

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