「宿命と環境の一致」について

宿命と環境の一致の有効性についてつねづね説いているわけですが、
いったいそれに、なんの意味があるの?
と訊かれたので書いておきます。

 

一言でいえば、
宿命と環境が一致すると、「何かが始まった」ような感覚を覚えます。
「人生の本番が始まった!」というような感覚、といってもいいかもしれません。

 

宿命の要素が、環境と一致していくときにはカチリと鋳型にはまったような感覚があります。
数多ある宿命の要素が、一つ一つ環境と一致するごとにカチリカチリと音が鳴り、
それがサインとなって人生が開花していきます。

 

ある人は、「流れがきてる!」と思うかもしれませんし、
またある人は、「時代に噛み合ってる!」と感じるかもしれません。
あるいは、「ここからが本領発揮!」と体に力がみなぎるのを感じることもあるでしょう。
他人から見ると「水を得た魚のよう」と評されたりもします。

 

感じ方は人それぞれですが、
宿命と環境の一致をみると、確実にそれとわかります。

 

生年中殺とか生月中殺がある人は、
実家を離れて宿命稼働、
組織を離れて独立して宿命稼働ということになりますが、実家やら組織やらから離れる後と前とでは見える世界の広さが明確に異なりますし、煩わしかった屋根や支えがなくなったように感じたりもします。

 

算命学を知らない人でも、
そういう「感覚」を経験したことがある人は多いのではないかと思いますがいかがでしょうか。

 

そして、一度でもそういう感覚を味わったことのある人なら、
「あの感覚をもう一度味わいたい」
「あの感覚をさらき促進したい」
と、思うのが普通です。

 

そういう感覚を、手繰り寄せるように一つ一つ宿命を環境と一致させ、それを燃焼させて行った先に人生の最大稼働があります。

 

昨日、
グレタさんについて書きました通り、
宿命を稼働させた人は世の中に大きく貢献していくことができます。

 

「そんなに活躍しなくても」という控えめな人もいるとは思いますが、
宿命を稼働させれば活躍・貢献・幸せに向かう一方、
未稼働であれば、停滞と欲求不満、鬱屈、不幸せに向かいます。
世の中は常に進化進展しているので、
立ち止まることは保守保全ではなく、退化退行となります。

 

宿命の稼働ってどんなこと?
という質問に全て書くのは難しいのでひとまず取り組むべきポイントを3つあげれば以下の通りとなります。

①天中殺の欠けの消化、宿命中殺の消化
②陰占の散法(対冲、刑、害など)の消化
星図の北と東の星の消化(若年期の保守が一番稼働しやすいです)

 

ちなみに、対冲とか刑は、喧嘩したり対立したり衝突したりします。
それを世の中、とりわけ保守的な日本の社会では「悪いこと」とされたりしますが、
きちんとケンカしたり対立したり衝突したりすることで初めて消化できるものもあり、
その消化の先に気づく自分、分かる社会、見える未来というのもまたあります。

 

なお、三大奇星などがあると、
がっつり消化することに尻込みし、消極的になる人がけっこういるのですが、それはダメです。

前に調舒星が強い人が、
「批判は良くないので控える」というようなことを言っていましたが、
そういうのは単に自分の弱さに起因する言い訳です。
勝手に自分の常識で判断してしまうと、きちんと消化できません。

車騎星ならきちんと戦っていくことで上手なケンカの仕方を覚えるものですし、
龍高星なら日本の教育委員会制度の傘下にいるようなタイプの先生には嫌われるかもしれませんが、先生の言うことを鵜呑みにすることなくきちんと応用し臨機応変な知恵を持つことが大事です。

 

算命学全般に共通することですが、
「世間的にはこうだといわれている」とか、
「常識的に考えてこれが正しい」というようなことは離れてかまいません。

世の中の99%にとって不幸の極致であっても、本人にとっては必要不可欠な価値あることである、ということもたくさんあります。

Photo by 五玄土 ORIENTO on Unsplash

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA