蛇を背負った人、丸太を背負った人

ときどき、「蛇🐍を背負った人」というのがいます。
写真などでは分かりませんが、
会えば大抵分かりますし、
話すとほぼ確信的に分かります。

 

悪意があり、
常に人を出し抜くことを考えていて、
自分に寄ってくる人はボロ雑巾になるまで使い倒す一方、
自分になびかない人ばかりを追いかけたりします。

 

とりわけ若くて見た目が華やかな人に多く、
ホストやホステス、芸能人、会社員なら営業職などに多くいますが、
稀に自己顕示欲の強い高学歴の中高年にもみられます。(中高年になるとルックスは武器になりませんからね)

 

平たくいえば、
人としての心ではなく蛇の心で生きている人🐍
みたいな感じです。

 

彼らは人間の世界に生きているようでいて、
その実、心は餓鬼畜生の世界にあるので、常に飢えに苛まされもがくものの、
人の心を解さない餓鬼畜生の人なので、
その解決手段は短絡的にして悪意があるものとなります。

 

結果として、
どれだけ表面を着飾っても、
どれだけ立派な人を寄る辺として得たとしても、
人の世界に足場を得ることはできず、
永遠に餓鬼畜生の世界を苦しみながら彷徨うことになります。

 

あるいは、
蛇を背負ってはいないけれど、
丸太を背負っている人、というのも結構います。

これは蛇より多く、印象としては、
大小の別はあるにせよ、
世の中の半分くらいの人は丸太を背負っている気がします。

 

見た目からはあまり分かりませんが、
話したりすると分かるし、環境から分かることもけっこうあります。

丸太は蛇ほど悪質悪意のあるものではありませんが、重たくかさばるものなので、
背負うことで、行動や方向、考え方が大きく制限されます。

 

彼らは、いつでも下ろしてしまえるのに、
重たい丸太を背負いながら生きていて、
「丸太を下ろしていいですよ」
といわれても、
苦しい笑顔をつくりながら「大丈夫です🙆‍♀️」と言ったりします。

 

まぁ蛇にせよ丸太にせよ、
大多数の人は背負っていることに気づきませんが、
大抵の場合、蛇や丸太を背負っている人たちはそれぞれ群れを成しているので、
日常的に仲良くしている人を見て、
「あ、蛇を背負ってるな」と感じれば、多分その人も蛇を背負っていますし、
「この人は丸太を背負っているな」と感じたら、多分その人も丸太を背負っているのではないかと思います。

これは、「見えている」のではなく鏡です。

 

ちなみに、
蛇も丸太も背負ったことのある人にしか見えません。
背負ってそれを昇華(消化ではなく)した人にしか見えないものでもあります。

Photo by 五玄土 ORIENTO on Unsplash

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