「質問」についての注意点

質問を連投する人、
あるいは「この人の知識なら分かるはずのこと」をなぜか質問する人、
という人というのは、

いってみれば、
教室で落ち着きがなく、勉強に集中することが出来ない子供の心理に近いのではないかと思っています。

そういう質問というのは、
少し考えれば分かることについての質問、
あるいは考え自体がまとまる前の質問、
であり、

それに答えることは出来るのですが、それに答えることが、その方の役に立つかといえば、必ずしもそうではないのではないかな、
また、それに答えることが出来るとしても、それに答えるのは自分のためにならないのではないか、という気がしています。

これは、子供の教育や職場の指導などにおいてもいえることですが、
質問をされて、
説明を始めようとすると「それなら知っています!」とか、
説明した後で「あ、それは読んだことがありました」という人がいますが、
これは、その質問により軽挙妄動が露呈するという意味で、その人物の評価を下げることになります。

あるいは、
多くの方が読んでくださっている中で「自分だけが質問を連投する」人というのは、
「自分で考える」ということをしていない、「自分で学んで知ろうとする」ということをしようとしない人ですが、
この場合も、その質問により軽挙妄動が露呈するという意味で、その人物の評価を下げることになります。

もちろん、質問すること自体は良いことなのですが、
その質問が、
少し考えれば分かることについての質問、
あるいは考え自体がまとまる前の質問、
である場合においては、その質問に意味も意義もないわけで、

そういう「意味のないこと」「意義のないこと」に時間を費やす「人生の浪費」をしてしまうことが慢性化してしまいます。

人生というのは、有意のことに時間を費やしていくことで、それが数珠のようにつながって発展していきます。
一方、意味の希薄なことに時間を散漫に費やしていくことは、停滞や無駄なハードルを呼び込むことになります。

発する言葉一つ、投げかける質問一つが自分の人生を創っていきます。
一方、それに答える言葉一つ、思い一つもまた、自分の人生を創っていきます。

つまり、
軽挙妄動に類する質問をすることは、その質問をする方自身の学びを阻害し、あるべき在り方を損ない、
軽挙妄動に類するコメントに回答することは、私自身の学びを阻害し、目指す在り方を損なう、ということです。

よって、たいへん恐れ入りますが、
今後は、必要に応じてコメントを削除させていただくことがあります旨ご承知おきくださいませ。

沈思黙考
いう言葉がありますが、算命学という学問ほどこの「沈思黙考」が必要な学問はないのではないかと思います。

一週間くらい考えて、いろんな本を読んでみて、様々に調べたり勉強してみたりして、それでも分からなければご質問くださいませ。

ちなみに、私は先生に「一カ月考えて分からなければ質問しても良い」といわれています。
ただ、一カ月考えて「分からない」ことはありませんし、
例えば分からなくても、「分かりませんでした」というのではなく、「こういう理解でいるがどうか?」という質問をするようにしています。

子供の塾であれば、分からないことを端から質問するような勉強でも良いですが、
大人の学びというのは本来、沈思黙考し、自ら学ぶことにあり、「教えてちゃん」では何の進歩もすることはありません。

沈思黙考、というのはとても良い習慣で、沈思黙考し、それによって得られた答えというのは、人に訊いて得られた答えの何倍も厚みを持つものです。
ぜひお試しくださいませ。

⭐︎ 7月三週目のマガジンを公開しました📚
https://note.com/kinugyokutoan/m/m936154682916

今回から日付をつけています。
これはサークル内へ投稿したときの日付で、サークルに加入された場合にサークル内で該当する投稿を探しやすいように付しておくことにした次第です。

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4月分を除き、すべての投稿をご覧いただけるので、サークルにご加入されたほうがお得です🉐

Photo by 五玄土 ORIENTO on Unsplash

1 個のコメント

  •  お久しぶりです。
     大変申し訳ございませんでした。
     ご指摘いただけた内容はとても参考になりました。
     今後の算命学だけではなく他の活動においても役に立てられればと思いました。

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