学びとお金のエネルギーと謙虚さの関係

昨日、適職占技について、

『適切に使うことが出来れば驚くほど速やかに効果を感じることが出来るのに、
その情報がわりとオープンになっているために真面目に活用する人がいないので、
結果としてその恩恵をうけることができていない状況』
…ということについて書きましら、

本日、ワタナベ薫さんが、

『タダで何かを得ようとしている人はなかなか成長しない、クレクレ星人に成長はない』

…ということを書いておられました。

こちら:https://ameblo.jp/wjproducts1/entry-12602866215.html

コーチングセッションなどにおいても、
無料で受けたセッションでは、クライアントの方は行動することが少ないのだそう。
身銭を切っていないから、本気にならないのだそうです。

確かに。

そして一方、タダで情報を与えている人(ブログにおける私ですね)というのは、
「素晴らしい!」といわれることはあっても、一概にそう言い切れない。

なぜなら、受け手の方が、それを活用しないことから。
つまり、いってみれば「無駄な情報のダダ流し」になるから。
…とありました。

少し前に、私も同じようなことを書いた気がしますが、やはりそうかな、など考えました。

ちなみに、私が算命学を含む東洋思想の学びにどれくらいお金を投じているかといえば、
これまでにざっくり2,000万円くらい使っています。

東洋思想に出会って7年くらい、
算命学を本格的に学び始めて3年と少し。

短期間にお金を投じても吸収しづらいでしょう、とか、
算命学を急いで学びすぎてはいけない、とか、
いわれることもありますが、
天報星中殺があると、むしろ深遠な東洋思想の世界に出会えたことで安定したように思います。

つまり、
中殺された天報星は、ブラックホールのように吸収・理解することがその性質なので、
天報星中殺がある人にとっては、そういうスピード感もそれほど奇異なことではなく、
自然に、当たり前に、違和感なくそのスピードで学びを進めているということになります。

多くの人から見ると「急ぎすぎ」に見えることが、
天報星中殺があると、それをもって初めて安定することができるような「当たり前」のことであり、
ときにそれ無くしては暴発するか腐るということさえあります。

この感覚は、天報星が中殺されている人なら分かると思うのですが、
尋常ならざらスピードと容量をもって学び吸収し、四方八方に向けて成長していくエネルギーである中殺された天報星は、
ふつうの生活の中では、消化不良を起こし、ときに内外を問わず暴発するか、そうでなければ腐る、ということです。

そういうブラックホールのようなエネルギーは、
その投じる先を得ることで、初めて心身ともに安定することが出来ます。

これは例えば、
天将星のあるひとがその膨大なエネルギーを投じる先に出会って安定する感じ、
龍高星のある人が広い世界に出たときに、その壮大に動き回るエネルギーを解放できる空間に出会って安定する感じ、
宿命中殺のある人が、不安定な場所においてその不安定なエネルギーをはじめて健やかに安定させることができる感じ、
…といえば伝わるでしょうか。

冒頭の「クレクレ星人は成長しない」ということに話を戻せば、
単に「成長できる」のみならず、
多少多めのお金を投じることによって、揺るぎなくエネルギーを投じる先を定めることができたともいうことなので、
やはりお金を投じることで成長できたといえるのだろうと思います。

お金というエネルギーを投じる先は、
そういう楔のような役目も果たすように思います。

ちなみに、
私は算命学を学び始める直前の時期は、ひどく荒れていました。
その時期に、人間関係を大幅に切ったことは総合指数のところで書きましたが、
そのころに袂を分かった方と昨年末再会した際に、
「算命学という枠組みを得たことが良い方向に作用しているようだ」と言っていただきました。

実際、とても安定しています。

別にお金を投じなくてもエネルギーは消化できるでしょう、といえばたしかにそうも言えるのですが、
例えば、
「主婦なので」「お金がないので」「時間がないので」
という理由で浅い学びを自己弁護しながら謙虚さのかけらもなく誤った認識をさも正しいことのように書き散らす方というのはいろんな意味で有害なのですが、
そういう方の多くは、エネルギーの投じる先を定め切ることができていない、何かしらの消化不良を抱えている方が多いように思います。

天将星の消化不良、中殺の消化不良などいろいろですが、たいていの場合、どこかで何かが腐っています。

そういう方こそ、一度がっつりお金を投じて学んでみると良いのではないかと思います。
別に算命学ではなくても、それぞれの星に応じた分野において、がっつりお金を投じることで、健やかなエネルギーの発露を得られますし、
謙虚さをもってしっかりと学ぶことができるようになります。

謙虚さとエネルギーがどうつながるかといえば、
とりわけ身強の人は謙虚さを欠きますけれど、「自分が」お金を投じた対象=「自分が信じたもの」なので、
その対象=自分、であることから、自分に対する自尊心が対象への謙虚さとなる、ということです。

よって、投じるお金というのは「自分が信じたもの」といえるだけの金額でなければなりません。
「損してもいいや」くらいの金額ではだめだろうと思います。

その金額が、私の場合は2000万円(これからもっと増えるかもしれませんが)だった、ということでもあります。

Photo by 五玄土 ORIENTO on Unsplash

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