古代人の思考と東方・西方・龍高星

サークルのほうでご質問をいただいたことですが、割と基本的なことなので、公開で書いておこうと思います。
算命学を勉強している方向けの内容です。

さて、算命学において方向理論というのはとても大切である一方、
それが分かっていると、いろんなことに応用できるので、きちんと覚えておきたいものです。

いただいた質問は、
北方、というのが父親や目上を示し、南方というのが子供や目下を示す、というのは分かりやすいけれど、
東方の母親や兄弟、友人と、西方の配偶者や補佐役、というのが分かりにくい、というものでした。

「東方を目指す」
「西方を目指す」
というときに、
女性であれば、東方を目指すなら「母親らしく」、西方であれば「良き妻の姿」を目指すのは分かるけれど、
男性であればどうなのか?
…という質問です。

大前提として、算命学というのは、基本的に理論という枠組みに対して事象を当てはめて解釈していくという使い方をするものなので、
「字面で解釈する」「字面を追って理解する」
という学び方には向きません。

つまり、
東方=母親、兄弟、友人、とあるからといって、それは「母親・兄弟・友人」しか示さないわけではないのです。
西方=配偶者や補佐役と教科書に書いてあるからと言って、それが「配偶者・補佐役」だけを示すと解釈しては、本質にたどり着くのは遠い先のこととなります。

そういう挙げられている「具体例」から枠組みをつかみ取って、その枠組みが示すものは何か?を、知ることが大切。

さて、では東方と西方が何を示すかといえば、
東方は「現実の未来」であり、西方は「現実の過去」といわれますが、
これは、東方とは「現実のスタート」であり、西方とは「現実のゴール」でもありましたね。

なぜ、その「現実のスタート」である東方が、「母親・兄弟・友人」なのかといえば、
生まれて初めて、人生のスタートにおいて出会うのが、母親であり、兄弟であり、友人だからです。

一方、「現実のゴール」である西方が、なぜ「配偶者や補佐役」なのかといえば、
人生を進んで何かを成し遂げる、何かゴールに到達したときにそれを支えてくれた存在というのは、配偶者であり補佐役であるためです。

東方のほうはすんなり入ってきたと思いますが、
西方のほうは「支えてくれた存在」といわれても、まだ「ゴール」に至っていない場合はどうなの?と思われそうですが、
ここは東洋思想というのは時間が循環する思想なので、
「自分がゴールに至ったという前提で、そのときにそばにいてくれるであろう人物」が配偶者であり、補佐役である、と考えます。

算命学を学ぶときに恐らく絶対的に必要なのは、「古代人の思考」です。
そしてそれは、古代の叡智である算命学を活用するときには不可欠の思考でもあります。

例えば、龍高星という星があります。

龍高星=海外の星、海外旅行の星、ととらえて、「龍高星があるなら海外旅行がお勧めです」と平たくいわれることがあるのですけれど、
古代人の思考でいうところの「海外旅行」、龍高星の示すところの「海外旅行」というのは、今でいうレジャー的な「海外旅行」とは全く異なるものでした。

想像してみてほしいのですが、
古代における「国内」の生活=城郭の中の生活というのは、まだ現代に近い、一つの安全な環境の中における生活であったと思いますが、
古代における「海外」、つまり、その「安全な国内から出た場所」というのは、盗賊や夜盗、詐欺師や人さらいが跋扈する、いってみればとても危険な場所であり、ときに寝る場所はもちろん、食べるものにすら事欠くような生活が強いられる場所であったにちがいありません。

ちなみに、日本では江戸以降、東海道など旅行をするための道路が整備され、宿場町などが発達して、「旅行」は割と安全なものでしたけれど、
古代中国においては民間の旅館や宿というのはなく、基本的に官営のものしかありませんでした。

よって、よほど王侯貴族や官吏であれば別ですが、一般大衆・庶民層が海外旅行(=国を出る旅行)をするには、知恵を使い、戦略的に人を動かし身を処してその官営の宿に泊まる段取りをつけながら、一方では「なんとかもぐりこんだ宿」においてはひどく劣悪な状況を耐え忍ぶことが必要であったであろうと思われます。
王侯貴族にしても、国を出てしまえばいつ何時、誰に襲われるか分からないわけで、多少の「良い寝床」にめぐまれたとしても、やはりそれは、相当の戦略と知恵、大変な忍耐を要するものであったであろうと思います。

龍高星というのはそういう星、そういう「相当の戦略」が可能で、「劣悪な環境への忍耐」ができるのが龍高星という星なのです。

なぜ、龍高星は立体思考ができるのかといえば、そういうたいへんな環境に処すためには立体思考なくしては成り立たないからで、
なぜ、龍高星が改良・改革の星なのかといえば、そういう劣悪な環境をより良いものにしていきたいというインセンティブが強く働く人生だからです。
なぜ、龍高星が体験知を求めるのかといえば、安全な国を出て危険な旅路をいくには、教科書はあてにならず、信じることができるのは自分だけだからです。

長くなりましたけれど、
算命学を理解するには、そんなふうに「古代の思考」に思いをはせることが不可欠であると考えます。

冒頭の、東方と西方が何を示すか、というその枠組みをいちおう書いておくと、
東方とは、人生のスタート地点で出会うひとたち、何かを着手するときに出会う人たちであり、
西方とは、人生のゴール地点でともにある人たち、何かを完遂したときに一緒にいるであろうひとたちである、ということになります。

よって、
東方を目指すなら、「何かを始めるときにこういう人がいてほしい」という人物の在り方を、
西方を目指すなら、「何かを完遂するのに不可欠の存在」という人物の在り方を意識すると良い、ということになります。

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