連続124日と龍高星と調舒星(雑記)

noteのサークルへの投稿が、連続124日になりました✨
よく続くね、といわれるけど、「毎日勉強する」と決めていれば、負担も負担と感じられないから不思議です。

毎日やってても飽きないこと。
ということに出会えたのは幸せなことだと思う。

ちなみに、
私の投稿はブログもnoteも「丸写し」は一切なく、自分で咀嚼した理解を自分が捉えた輪郭で書いています。

よって、私のブログを読んで「原典を買いました!」という方に、
「あれはどこに書いてあるのでしょうか?」
と、訊かれることがあるのですが、
それについて原文をお知らせすると、
「この内容からあの理解にたどり着いたんですか!」
と、驚かれたりします。

このあたりは、
龍高星で学び調舒星で書いているからなので、
当たり前に普通のことを右から左には書きません。
基本的に、「実生活、自分の人生に活かす」ための学びを、
徹底的に突き詰めた結果としての表現として書いています。

ちなみに、
先ほどのモンスター・ペアレントの投稿の内容にも絡むのですが、
龍高星で学んだことを、鳳閣星で表現してはいけません。

龍高星で学んだら、調舒星で表現すること、
玉堂星で学んだら、鳳閣星で表現すること、
…が、大事です。

教科書準拠のブログはぐぐればあるので、教科書の記載を求めるなら教科書を買うか、教科書準拠のブログをご覧になることをお勧めいたします。

⭐︎サークルは随時、参加者を募集しています。こちら:https://note.com/kinugyokutoan/circle

⭐︎龍高星と玉堂星、学びの先にある姿についてはこちら:https://note.com/kinugyokutoan/n/n18c8fa31a3fe

Photo by 五玄土 ORIENTO on Unsplash

7 件のコメント

  •  コメント失礼します。
    龍高星で学んだことを鳳閣星で表現してはいかないということは理解できるのですが
    (星の流れもそうですし龍高的学びを論理的、客観的に表現するというのもおかしな話ですね)
    星図にない場合も務めて調舒的な表現にした方が良いのでしょうか。

  •  例えば小説だと玉堂的に学んだ知識や技術を鳳閣的に紹介していく。
     龍高的に学んだことを作品(調舒的)として表現していく
     というようなことが可能だと思うのですが、そのような理解でよろしいでしょうか。
     星図の中にいずれかが欠けていている場合は
    意識してそう務める方が良いのでしょうか。
     ない星は目指さないという点でいえば矛盾するかな、とも思います。

  •  連投申し訳ないです。
    それが陽と陽、陰と陰の相剋を持つ場合の難しさなのかも
    と思いました。
     違っていたら申し訳ないです。

  • みくにさん
    これは仕組みの話です。
    よって、星図は関係ありません。

  • みくにさん
    「ない星」を目指さない、ということと、ここに書いた仕組みの話は別の次元のお話です。
    仕組みは仕組みとして厳然とあり、星図を消化することは消化することとしてまた厳然とあります。

    星をどう解釈するかは確定的なことはお答えしかねますが、
    字面ではなく本質を捉える視点持つことが大事と思います。

  • みくにさん
    これは私の考えですが、
    人に簡単に訊いていると、本質的な理解に届きにくいように思います。

  •  なるほど。返信ありがとうございます。
    自分で考えを深めていこうと思います。
    申し訳ありませんでした(汗

  • コメントを残す

    メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

    CAPTCHA