「他人を粗末に扱う人」から離れること

割と同じようなことを繰り返し書いているのですけれど、
自分のことを粗末に扱う人というのは、関わらなくていいんだろうと思っています。

ある時点で、スーッと身を引ければいいですが、
そうでなければ徹底的に、完膚なきまでに攻撃してでも、離れたほうがいいと私は思っています。

…このあたりは星の並びにもよりますが。
例えば金性の星がない人でも、基本的に人間は「五行を備える」ということはベーシカルなところでは必要で、
たとえ禄存星のような奉仕の星や、石門星のような和合性の星があったとしても、
「自分のことを粗末に扱う人とは関わらない」ということはある程度必要なのではないかと思います。

私は、自分の友人や家族、関わる人というのはとても狭いですが、その分厳選しているので、とても大切にしています。
(Facebookの「友達」は700人を超えると、誰かしら削除して700人以内をキープしています)
なので、私はそういう自分の身近な人が、「粗末に扱われる」のを見るのも耐え難かったりします。

「自分の大切な人を粗末に扱う人は許さない」みたいな。

だいたいにおいて他人を粗末に扱う人というのは、
例えば私や私の身近にいる人だけではなく、
基本的に、誰に対してもそういう「他人を担末に扱う」性質があるので、親しい友人にも、そういう人とは関わらないことを強く推奨しています。

何か月か前、
知り合いが、「激辛料理を食べる会」、というのを募集していていて、それに手を挙げている人たちが明らかにヤバそうなのを見つつ、余程ヒマな人が参加するんだろうな、と思っていたら、
「激辛料理がキライな」親しい友人が、そのヤバそうな激辛料理の会に「個別に」誘われていたということがありました。

誘った方はその友人のことが好きで、サシで誘うのは憚られたので「公開募集」というテイを装って募集し、重ねて個別に誘ったのだろうと思うのですが、
ハタからみると、何の配慮もなく、かなり自己中心的かつ強引で、他人事ながら、「こんなに粗末に扱う人に好かれているその友人」が気の毒になってしまいました。(行かなかったようですが)

こういうことを書くと、
ずいぶん神経質ですね、といわれることもあるのですけれど、
余程ヒマで時間を持て余しているなら別にして、限りある時間をどんな人と付き合うか、ということを考えれば、
そういう人に費やす時間ってないだろうと思いますし、

もし、他人に自分をそんなふうに扱うことを許している人がいるとしたら、
その人は、まだまだ「自分」というものを信じていない人であろうと思います。

あるいは、その人自身が「他人を粗末に扱う」質があるので、自分が粗末に扱われても気にしないんじゃないかな、と思いますがいかがでしょうか。

自分のことを大切にするために、
自分のことを粗末に扱わせないために、
関わる人を選ぶというのはとても大切です。

とはいえ、こういうことは、若いころはなかなか分かりません。
あるいは、「きちんと丁寧に扱ってくれる人」と出会ったり、そういう人ときちんと関係を築いた経験がなければ、
そもそも自分が「粗末に扱われている」ということにさえ気づかない人というのもけっこういます。

結果として、「他人を丁寧に扱う」ということをまったくもって知らない人というのもいて、
それゆえに、無自覚に他人を粗末に扱っているということもあるとは思うのですが、
そういう人は、どこかで気付くしかないのだろうと思います。

その意味では、私はひとが「自分を粗末に扱う」ということについて明確に拒絶しますし、
まわりのひとが「粗末に扱われている」という状況を、くっきりはっきり糾弾します。

その結果、「他人を粗末に扱っている」ということについて、気づく人、反省する人がいるといいな、という思いもあります。

これは、一つの「拘り」なのですが、
一つのことへの「拘り」をきちんと健やかに発揮できるようになると、他の面でもきちんと「拘り」を発揮できるようになります。

「拘り」なく、なんとなく適当に扱われるのを緩慢に流し見ていると、いつまでたっても人生は「くっきり」はしません。
…拘りなく生きていると、そのこと自体にも気づけなかったりするのですが。

余談ですが、
何年か前、近所の人がクラウドファンディングをしたときに、いきなりコピペの「お願い文」を送り付けてきたことがあって、
あまりに失礼な人だな、と私はそのとき激怒したのですが、
先日、それについて友人が「あれは許せなかった!」ということを言っていて、この人も同じ感覚なんだな、と安心したことがあります。

一方で、その失礼なコピペでそのプロジェクトを応援した人たちというのは、いまだにそのお店のFacebookページに「いいね」などしているのですが、
そのお店を応援している人たちをみていると、
主体性がないというか、なんとなく「自分を大切にする」という視点が欠けている人が多いな、という印象を受けています。

そういう「自分を粗末に扱う」人を放置していると、いつまでたっても人生はくっきりと発展できないんだな…というのを、そういうところに感じたりしているこの頃。

…ぜひ、まわりを観察してみてくださいませ。
Facebookに限らず、まわりを見ていると、おもしろい発見がたくさんあります。

算命学の勉強は、机上のものばかりではありません。

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命式を知ると自分がくっきりします。
自分を大切にすることに抵抗がなくなるように思います。

Photo by 五玄土 ORIENTO on Unsplash

10 件のコメント

  • こんにちは。りんっこです。
    とても納得できる内容の記事でした。

    中学生時代がまさに他人を粗末に扱う人がのさばってて大変だったなぁと思い出しました。本人が元々粗暴というより親の過干渉や無関心への反発から荒れている、あるいはこの親にしてこの子ありという人が多かったです。付き合う友人をある程度選べる大学生になって人間関係がずいぶん楽になったのを覚えています。
    子供は環境を自分ではなかなか選べないので大変ですね。

    子供が出来てからは、彼らからみてみっともない恥ずかしい振る舞いをしてないかをより意識するようになりました。親の背中をみて子は育つといいますが、綿々と伝えられている言葉はやはり説得力があるなぁと思う次第です。
    あとは「お天道さまがみてるよ」ですかね。自分の行いを俯瞰してみるというのも大切だなと思っています。

    • りんっこさん、こんにちは。
      「若い頃は環境を選べなくて大変だった」という方は、たいていそのご活躍されますね。
      逆に言えば、将来活躍するから若い頃に苦労するのかもしれません。
      時間は円環していますね。

      俯瞰する、本当に大切ですね。
      けれど、俯瞰できていないと現象として「因果応報」のようなことが起こりますね。
      面白いな、と思います。

  • 私は弟ばかり贔屓されてると思い生きてきました。これは私が親克型であることも原因なのかもしれません。そのため、愛されたい気持ちが強く、粗末に扱う人にもつくした過去があります。自分を大切にすることが、幸せになるためにも必要なことなのでしょうね。

    • ゆりさん
      人に粗末にされる経験をしたから、人を大切にする、ということに向かえる面もあるな、と思いますがいかがでしょうか。

      自分を大切にする、本当に大切ですね。

  • 今日のお話は自分の事かと思うくらい同意です。
    私も、「自分を粗末に扱う人」へのジャッジは早く、糾弾もします。
    私の場合ですが、その相手は算命学に詳しくて「あの人には私の意見が通りやすいの」というセリフを聞くたびにいや〜な気持ちになったので、はっきりとお付き合いはお断りしました。
    私には石門も2つありますが、仲間仲間したものに長期間は耐えられないです。

    • 千代子さん、こんにちは。
      イヤな気持ちになる人は距離をおいた方が良いですよね。
      石門星2つがその感覚になるのも分かります。

      私はイヤな人にはもっぱら間接攻撃です。
      牽牛というより北の車騎かな?と思っています笑

  • 初めてコメントさせて頂きます。
    ちょうど昨日、一人の友人と縁を切ったところです。そして理由もまさに「自分が粗末に扱われた」ことだったので、この記事は非常にタイムリーでした。その友人の企画するイベントについて事実ベースで色々と指摘したところ、あられもない感情論をぶつけられ、ヒステリーに近い対応を受けました。恐らく見下している存在から受けた指摘には耐えられなかったのでしょう。他にもお粗末ポイントは色々ありましたが、やはりこの人に何を言っても無駄だと感じたのが一番の決め手でした。それなりによく連絡を取る相手だったので、縁を切ることで自分がダメージを受けるんじゃないかと思いましたが、とてもスッキリしてご飯が美味しいです。この記事からも最大の納得と勇気ももらいました。ありがとうございます。

    • Culb sobaさん、こんにちは。
      コメントありがとうございます。
      自分の気持ちをきちんと見据えて、行動に移せて良かったですね。
      自分を大切にし始めると、そういうことがくっきりできるようになりますね。

      自分を大切にすることに慣れてくると、まわりの人が自分を大切にしてくれてている環境がやってきますね。

  • こんにちは。こちらの記事と「異界不渡り」の記事を合わせて、わたしはこれまで自分の本来の姿よりはるかに下の螺旋に自身を置いてしまっていたのではないかとはっと気付きました。
    (身強かつ自己評価が低いがゆえに)自らを異なる螺旋に置き続けたことで、「異界」の人々を求めるばかりの亡者にしてしまっていたのではと反省するとともに、わたしはもっと高みを目指してよいのだろうとようやくすとんと腑に落ちたような気持ちです。ありがとうございます。
    さて、わたし個人の経験なのですが、「自分を粗末に扱わない」というのを腹落ちさせるには、己の星を稼働させる必要があるのではないかと感じました。
    (そんなの知ってるよ、ってことだったらすみません!)
    というのもここ数ヶ月いままでにないほどの「居心地のよさ」を感じており、その理由はどうやら「在宅勤務でひとりの時間が増えたこと」と「それを機にインテリアや収納を徹底的に自分好みにしたこと」にあるようなのです。
    ひとりの時間をとって己の美意識に徹底的に目を凝らし、異質なものをかたっぱしから排除することで自分の中の調舒星が喜んでいるような気がしますし、その中で残ったものをきちんきちんと美しい配置で収納することで、中心の司禄性がとっても楽しんでいるような気がしています。
    「自分を大切にする」とお題目のように言われ続けてもわからなかったことが、いいホテルに泊まっても美味しいごはんを食べてもわからなかったことが、星と照らし合わせるとすこんと腑に落ちるようで、なんだか心が嬉しいのです。
    禄存星ふたつと石門星も持っているので、奉仕しているのか搾取されているのかわからず苦しむことも多かったのですが、ほかの星にちゃんと目を向けてあげたことでなんというか「安心できる足場」が組み上がったような気持ちです。
    きっと他の星もそれぞれの性質をいかすと、こういう安心感に包まれるのではないかと思ったのですがどうでしょう?
    わたしももうちょっと自分で検証してみようと思います^^

    • 茶飯事さん、こんにちは。
      自分を大切にし始めると、世界がガラリと変わったりしますね。
      自分が自分を扱うように人は自分を扱うものなので、自分を大切にすることは大切ですね。
      せん!)

      「在宅勤務でひとりの時間が増えたこと」と「それを機にインテリアや収納を徹底的に自分好みにしたこと」

      その感覚、とても分かります。穏やかな日々ですよね笑

      星を喜ばせる、そしてその結果どんなふうに現象化するのか?ということを丁寧に検証することは、学びの上でも処世術の上でもとても役立つと思います。
      応援しております。

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