過去を肯定できる体験のパワフルさ

このところ、法律を勉強しておいてよかったな、とよく思います。
私は、大学では法学部で法律を専攻したのですが、長らく法学部よりも経済学部を選べばよかった、と、思っていました。

理由はいろいろありますが、
端的に言えば「法律の限界」というのを感じたからです。
基本的に、法律というのは条文と判例を超えることができない、そのことが窮屈に感じられ、
より自由で柔軟、かつ発展的な経済学のほうが楽しかっただろうな、と思っていたのでした。

けれどこのところ、算命学を学びつつ思うのは、
法律というものの構造を若いころに学んだことが、算命学における構造を理解することにとても役立っているな、ということ。

法律の限界というのを若いころはとても窮屈なものに感じたのですが、
たとえ「法律の限界」がなかったとしても、この世界で人間が生きていくにあたっては、「天地人三界を脱すること難し」といわれるとおり、常に自然の法則の影響下にある、ということを認識して以来、
この法律・法則を知り、その構造を正確に・立体的に捉えることこそが、自由で柔軟、かつ発展的
な生き方につながるのだと考えるようになりました。

そしてその法則の構造を捉えるのに、法律の構造を学んだことが役立っているな、というお話です。

未来というのは、過去のあらゆることが収斂されたもので構成されいます。

これは平たく言えば、現在というのは過去の集大成であり、
今やっているあらゆることが未来を形成していく、ということなのですが、

こうしたことを言い換えれば、
人生の終わりにおいて歩んできた道を振り返れば、すべてが意味のあることであったと認識できるということです。
プロセスにおいて、それと認識できるかは別にして。

そしてこのことをさらに言い換えれば、
「何をしても失敗ではなく、あらゆることに意味があり、すべてのことは自分の人生の発展に寄与する」
ということでもあるのだろうと思うのですがいかがでしょうか。

過去における「失敗」だと思っていた経験に、
実は大きな意味があったのだということに気づくというのはとてもバワフルな体験です。

なぜなら、
その「失敗」に意味があったのなら、他の数多の「失敗」にも、意味があるという認識をもたらしてくれるから。
「起こる出来事」というのに、全幅の信頼をおけるようになるから。

そしてそれは、
算命学が示す道というのが、
たとえ自分にとって荒唐無稽に感じられるような場合においても、
その道を選択することの先に失敗はない、
…という確信をもたらしてくれるから。

以下、余談ですが、
法律を学んでおいて良かったな、
と思う理由のなかで分かりやすいものを挙げれば、
「法律・法則は絶対」であるという盤石の前提を持つことができる点です。
そしてそれに動じることがないという点です。

例えば、
「○○してはダメですよ」
というときのその背景には確固とした法則があり、それは怒られても泣きつかれても変わることはありません。
単なる会話や人間関係の上での話であれば、譲歩することも妥協することもありますが、
法則というのは絶対のものなので、たとえ気に入らなくても気に食わなくても変わらない。

そういう揺るぎない前提をきちんと当たり前に受け入れられるのは、性質や要素など「法律」というものを基礎から学んだ経験があるからだろうと思います。
(法学部では一般的に、法律を学ぶ前、一番最初に「自然法」という、自然における法律の性質や要素を学びます。)

算命学の学びを進めるうえで、一番大きなハードルとなるのはおそらくこの点で、
難解さは時間をかければ乗り越えることができますが、
法則が導き出す結果に動じる、それを受け入れられない、ときにそれを歪めてしまう、という場合には、その先に進むことはできません。

その意味で、法律を学んでおいて良かったな、と思いました。

(もちろん、そんな経験がなくても、法則を受け入れられる人はたくさんいます。)

Photo by 五玄土 ORIENTO on Unsplash

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