東方のエネルギーの消化と稼ぐことの大切さ

算命学というのは、自然の法則、森羅万象の法則を細かくとらえていった先において発展した学問です。
古代中国における夏、殷という時代には既に陰陽五行の考え方があったといわれますが、その後、活用され確立したのは春秋戦国時代。

これは、戦乱の世においていかに自分の家系を存続させるか、あるいは戦乱の世をいかに勝ち抜くかということについて、
広く知恵が求められた結果、知恵者が参謀として取り立てられる(=知恵者が世の中の役に立つ)世の中となったため、
様々な知恵・学問が勃興し、発展し、確立されることになった、その時代が春秋戦国時代であったということです。
そういう学問の担い手たちのことを「諸子百家」といい、孔子や老子、荀子などが有名ですが、算命学の源流もそこにあります。

よって、算命学というのはそんな「生きるか死ぬか」みたいな時代に確立された学問で、
その「生きるか死ぬか」の世界というのはまさに人間の動物的な本能がむき出しになった世界(時代)であり、
むき出しの動物的な本能こそが、森羅万象の循環におけるパーツとしての人間の姿であり、それがこの世界における人間の本質的な在り方であって、
その人間の本質的な在り方、その活かし方、発展の仕方を説くのが算命学である、といえます。

人間は森羅万象のパーツ(一部)なので、
森羅万象の姿、自然の姿というのを師としており、
よって算命学というのはその師としての自然を知るための学問である、ともいえますね。

翻って現在はといえば、生きるか死ぬか、という時代ではありません。
頑張らなくても生きていくことはできるし、ご飯を食べられなくて餓え死ぬようなこともありませんし、
家系に頼らなくても、存在が脅かされることはないですし、親がいなくて苦労することはあっても命を失うようなことにはなりません。
なので、必死にならなくてもある程度生きていける時代であり、その結果として本気とか欲求とかいうものが希薄でも、まぁ生きていけるかな、という時代です。

結果として、本能的、衝動的、あるいは生々しい欲求、というのを表に出さないことをもって良しとされる時代になっている、といるわけですが、
最近、こうしたことが、東方のエネルギー消化の妨げになっているのではないかな、と思ったのですがどうでしょう。

東方のエネルギーとは、外側に向かうエネルギーであり外側から受け取るエネルギーです。
一般的には仕事であるとか友人、恋人などといわれる場所ですが、
本質的には狩りに行くエネルギーであり、儲けに行くエネルギーであり、立身出世(して稼ぐこと)に向かうエネルギー。
これは、戦国時代における外側に向かうエネルギーというものを思い浮かべれば理解しやすいだろうと思います。
なので、外に向かって稼ぎに行き、そしてお金・対価を受け取ることによってそのエネルギーの消化となります。

なんとなく、現代はそういう東方のエネルギーの消化に積極的ではない人が多いなぁと思ったので、
その意味を伝えたくて長々と算命学の源流・歴史から書いてみた次第。

例えば、
既にある程度お金を持っている人などは「お金はもらわなくても」とボランタリーに何かをしていたり、
知り合いだからお金を受け取らなくても、とタダで何かをしてあげたり。
もちろん、これらはその先において、より大きな何かを獲得しに行く(=投資としてそれをする)というのであれば良いのですが、
そうでなければ、それは東方のエネルギーの消化にはなりません。

ちなみに、少し前に堀江貴文さんが「情報とは狩りにいくもの」ということを書いていたということを、ブログ本文かコメントのどちらかで触れたのですが、
情報というのも、取りにいくエネルギーを使うことでエネルギーを受け取る(=稼ぐ、有意になる)という性質があります。
エネルギーの交換によって、東方のエネルギーを消化できるということです。

なお、noteのサークルのほうには八門法と東方エネルギーの消化の関係、エネルギーの循環の重要性について書いています。
もう少し深く、という方はぜひnoteのほうもご覧くださいませ。
また、サークルのほうをご覧になっている方は、本投稿はその補足としてご覧ください。

こちら:https://note.com/kinugyokutoan/circle

Photo by 五玄土 ORIENTO on Unsplash

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。