日頃、お賽銭は、
「神様が乗ることができるように」ということでお札を入れるようにしているのですが、
「お札」といっても、たいていは千円札です。
けれど先日、たまたま、千円札の手持ちがなく、多少迷った先に、五千円札をお賽銭としてきたら、
後日、その神社の神事に参加させていただけることになった、ということがありました。
「多少迷った」 のを乗り越えた、その強い気持ちが神様に届いて、呼んでくださったのかな?
…と思いつつ、その日に向けて、身を慎み、研鑽を積まねば、という思いを強くしました。
私は、日本人として神道を尊び、実家の家系がお世話になっている仏教の宗派を学んではいますが、特定の宗教・宗派に属しているわけではありません。
…けれど、 改めて思うのですが、 「神様」 っていますよね。
「八百万の神(やおよろずのかみ)」 とは、日本古来の神道において、 自然界のあらゆるものや現象に宿る無数の神々のことで、
山や川、太陽や樹木、大地や岩など、 森羅万象を畏れ敬う、 日本人が自然と共生して生きる世界観をもっていることの象徴ともいえる概念ですが、
この感覚、神様に囲まれて生きている、という感覚、
神様に助けられている、という感覚を持っている人と、そうではない人との間には、
人生の生き方の難易度というか、世界との和合性というか…が、だいぶ違うのではないかな?と思います。
算命学では人間を 「自然の一部」 としてとらえ、 その 「一部」 である自分を生かしてくれる自然の要素を「守護神」 と呼びますが、
この「守護神」を意識し感謝することの作用はきっと大きい。
古来、政治家や実業家は神社参りを欠かしませんが、これは単なるポーズではありません。
いや、団塊世代くらい以降、特に都会の政治家のなかには単なるポーズでそれをしている方もおられますが(例えば、小泉純一郎元首相や河野太郎元防衛大臣などは、東洋思想の素養がまるでなさそうな発言が多いですが)、
政治家や実業家のように、スケールの大きな世界を生きていると、「神様」の助けを得られること、得られないことの違いがくっきりも分かるのではないかと思います。
これは、
スケール大きく、
誰も助けてくれないようなポジションで何かをやってみると、「神様」に助けられる場合とそうでない場合の違いがよくわかる、ということで、
例えば職場から離れてみる、知らない場所に立ってみるなどすると、本当によくわかるように思います。
ちなみに、写真は佐賀市内にある与賀神社⛩️
欽明天皇の代の創始といわれる古社で、御祭神は竜宮城のお姫様といわれる神武天皇の御祖母である豊玉姫命です。
地支に弁財天があるのでご縁を感じます。
だからかな?大吉✨



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