陰の因果応報

因果応報、というのは、仏教の言葉ですが、簡単に言えば、
「原因と結果の法則」です。
このところ、そのことについて考えていたら、たまたま達人に因果応報について教わったので、
2回に分けて、陰の因果応報と陽の因果応報について書いておこうと思います。

まずは陰の因果応報から。
以下、とある家族のお話です。
Facebook上のつながりはありません。

○親族から結婚式のご祝儀でもらった20万円で買った家具を、大き過ぎるからと買ってすぐに処分したところ
空き巣に入られてエンゲージリング(だけ)を盗難にあいました。
そのエンゲージリングは家具と同じくらいの価格だったそう。

○旦那様の親族を蔑ろにしていたら、
旦那様が遠方に転勤になり、結果、自分も実家から離れることに。
それが予定より長い期間になったうえに、次の転勤もまた地方の勤務となり、
子供の進学においても難しさを抱える事態に。

○実家への配慮を欠き、理不尽に親族に対して当り散らして思いやりを欠いた人は、会社において本流を外れ、
この人は徳は積んでいるのでそれなりのポジションにはいますが、おそらく一番の望みは叶っていません。

○とある人にいじめられたとその問題点を陰で一生懸命力説していたら、いじめられたと訴えた当の本人がその人間関係から除外されることに。

これらのお話を、脈絡ない事象の羅列だと感じる人もいると思いますが、
実は全部繋がっていて、原因があって結果があります。
それぞれに問題を改善するために自ら行いを改善していかないと、同じことが続きます。

こうしたことは、
「世の中は鏡のように行動したことが反映される」
ということを認識し、
モノゴトを一歩引いた視点で眺めるとそれらのつながりがとてもよく分かります。

そして、
これらの原因と結果のつながりに気付かずにいると、
問題はどんどん大きくなるか、
そうでなくてもループし続けます。

厳密には、
何も徳を積まずにいる場合は問題が大きくなり、
徳を積んでいる場合はループし続ける感じです。

よって、
問題やループがある場合は、
早めにそれに気付き、改善していくことが望まれます。

簡単に書きましたが、
これは案外と難しいもの。
かく言う私も長くループの中にいました。
もしかすると、まだループの中かもしれません。
よって、他人事として書いているのでもありません。

思い通りにならないことや、
アクシデントの裏には何か原因があるということを、
達観している人はよく知っています。

なので、
彼らは自分に起こる禍を恥とこそ思え、
それを他人に愚痴ったり嘆いたりすることはありません。

自分のことであれば静かに行いを振り返り、事象と突き合わせて原因を探り、解決に向けて黙々とアクションに向かいます。
他人のことであれば、静かに同情を寄せます。
決して、他人のことに積極的に介在しない(伝えたりアドバイスしたりもしない)のも、達観した人の特徴です。

なぜ彼らが介在しないかといえば、
本人が気づくのが最も良い道だと知っているからです。

しかし先日、そんな達人に先に挙げた様々な因果についてお話ししながら、
こうした因果を超える方法について質問したところ、

ちょっと自分の行いを振り返って、
改めるべき点に気づいたら、
それは神様からのサインなので、
端から改善していくのが良い。

と、教えてもらいました。

思いついたらできれば即日、そうでなくても一週間以内に何らかの改善のアクションを起こすのが良いそうです。

前に誰かの成功本で、
「成功法則を実践するステージにない人」
というのがいるということを読みましたが、
こうした因果やループにはまっている人というのは、
穴の空いたバケツに水を汲むかのように何をどう頑張っても、見えない壁に阻まれるかのようにある一定の場所から先には進めなくなるそう。

(徳を積んでいない場合は後退するそう)

今日、家に帰ったら一つ改善のアクションを起こす予定です。

ちなみに、陽の因果応報は、
時代のエッジを突っ走るような在り方の実行だそう。
できれば今日中に書きます。

Photo by 五玄土 ORIENTO on Unsplash

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