『令和』新元号に寄せて

元号が『令和』に決まりました。
万葉集の中にある梅の花を詠んだ32首の歌の序文の詞からのものだそう。

「時に初春の令月、気淑く風和ぐ。梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫らす。」

美しい景色が浮かぶ素敵な元号になったことを嬉しく思います。

いろんな考察がすでにあれこれ書かれていますし、
今後も書かれるだろうと思いますが、
私の感じたポイントを3つ書いておきます。

復古主義的日本を標榜
安倍首相だけに「安」の字が入るのでは?といわれていましたが、
それとは別の意味で安倍首相色のある元号になりました。
日本の古代史にその源流をしかと定めることを感じさせ、
日本のアイデンティティを改めて確立していこうという意欲を感じます。

モリカケ問題で味噌をつけられた感のある安倍首相のこうした思想がこの新しい元号によって改めて再確認、再注目されるのかな、と思います。

②中国から歴史を学んできた日本
言葉そのものは万葉集という日本の古典から選ばれましたが、
敢えて中国の国花である梅の花の歌(の序文)から選ぶことで、過去の歴史を踏まえある面では中国への配慮、その歴史への敬意を滲ませているように思います。
また、この梅の歌32首には
中国漢詩の知識を発展的に日本語の歌へ昇華したという背景があるそうですが、
そうした背景のある言葉を選ぶことで、日本が歴史を踏まえ、それを今後独自に発展発展させていく、独自の道を志向していく、

そんな決意もまた見て取れるように感じます。

菅原道真の鎮魂
梅といえば太宰府、そしてこの歌も「太宰帥大伴の卿の宅に宴してよめる梅の花の歌三十二首」。
菅原道真
「東風(こち)吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ」
という歌はあまりに有名ですが、
その祟り、怨霊と化して都を跋扈したこともまた裏歴史においては有名です。

これについて現代ではあまり語られることはありませんが、
歴史においては凄まじいほどの怨みと呪いが渦巻き日本を揺るがした大事件。
皇居に雷がいくつも落ち、その事件に関わった人たちのみならず、多くの皇室関係者が命を失い、皇統が途切れる危機であったとされます。
こうしたことから、その鎮魂のために建てられたのが天満宮で、その没地にある太宰府天満宮、都に建てられた北野天満宮のほか、全国各地の天満宮菅原道真の魂は祀られています。

菅原道真が病没したのは903年と既に1000年以上の時を経ているものの、
実は皇室では今もって毎年その鎮魂のための祈りを捧げているといわれます。
そうしたことを踏まえると、
この元号をもって改めてその菅原道真に想いを馳せ、国家をあげて改めてその鎮魂にあたるという意図ももしかするとあるのかな?と感じました。

以上、私の感じた『令和』について感想、そしてその考察です。

それにしても、
「明治」「大正」「昭和」「平成」
と、割と分かりやすく子供でも理解できる元号が続きましたが、
『令和』は深さと成熟を感じます。
元号一つでいろんな意図を含ませ、
そこに思想とビジョン、そして国の歴史を示してくれたことは賞賛に値するもの、と思いました。

Photo by 五玄土 ORIENTO on Unsplash

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