「すごい」と思うことの危険性

Newsweakの記事によると、過去10年間で年収が下がった職業のトップが弁護士で、四割減にもなっているのだそうです。
理由はいうまでもなく、弁護士が増えすぎたこと。

法曹改革といわれ、2002年に「法曹3000人計画」が策定されて以降、
法曹界において就職難が起きていることは承知していましたが、四割減といわれるとちょっと驚きます。

確かに、かつては「日本で最も難しい文系資格試験」といわれた司法試験ですが、
昨今はそうでもない感じがあり、私は法学部だったのですが、大学のクラスの友人も二ケタくらい弁護士になっています。

ちなみに、私の大学の法学部の一学年の人数は約900人だったと思うのですが、
クラスは50人くらいだったので、そのうち2割以上が弁護士になっているということ。
…かつて、うちの大学の司法試験合格者数は「学年でようやく二ケタ」くらいのものだったことを考えれば、いかに間口が広がったかが分かります。

それにしても、
司法試験にせよ、学校にせよ、「難関」といわれるタイトルを持っているような人をみると、無条件に「すごい」といって持ち上げて、
さらには憧憬と羨望をもって「自分とは異なる人」「自分よりも上のほうにいる人」のように捉える人というのがけっこういるのですけれど、

だいたいにおいて、
その「すごい」といわれる当事者を身近に見ると、案外と「ふつう」であることってよくあります。

これはつまり、
その「すごい」といわれるタイトルを持っているような人も、「ふつう」に努力し研鑽を重ねて「すごい」というタイトルを手にしているだけのことであって、
決して「生まれつきすごい人」でもなければ「最初から人より上の方にいる人」でもない、ということなのですが、

それにいち早く気付いた人=「すごい」人を身近に見ている人は、さっさとその「ふつう」の努力と研鑽を重ねて「すごい」人の仲間入りをし、
それに気づかずいつまでも他人を「すごい」と崇め奉っている人は、いつまでもその「すごい」人より下の位置の自分に甘んじているように思います。

ちなみに、私はときどき「ハーメルンの笛吹」の話を書きますけれど、
ハーメルンの笛吹の後ろを、夢遊病者のようについていくような人というのは後者のタイプの人たちです。

誤解を恐れずに書けば、
人間というのは、自分より「すごい」誰かがいると思っている限り、本質的な意味で自分の人生を生きることはできないだろうと思います。
誰かのことを「すごい」と崇め奉っている限り、自分の能力や才能の最大発揮というのも出来ないんじゃないかな、と思います。

このことは、
日干支律音の相手との関係が破壊的である、ということを思い起こせば理解できるところと思いますがいかがでしょうか。

「あの人ってすごいよね」ということ、いわれることの弊害というのはけっこう大きなものがあります。

「すごい」といわれることもまずいのか?といえば、
自分の能力や才能を神格化された先において自殺をしてしまう著名人などをみれば、それがいかに危険か、ということが分かるだろうと思います。

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