機運がきているひとの雰囲気と身の処し方

少し前に個展にお邪魔した絵描きさんから、お礼状が届きました。
華やかなバラと可愛らしいアマビエちゃんの絵に感激。
ありがとうございました✨

この方は、
とても透明感のある素敵な絵を描かれる方で、
もともとその個展に伺ったのは、
尊敬する女性にお誘いいただいたパーティーのあと、
さらに尊敬する女性に「ちょっとどう?」とお声掛けいただいたことがきっかけでした。

尊敬する女性✖️尊敬する女性の先にいる方というのは、やはり尊敬に値する方であるもので、
個展を開かれたその方は私よりずっと若い方なのですが、
清々しく健やかに絵を描き、その清々しさがまわりに伝播していくような雰囲気のある方であったな、と振り返っています。

ちなみに、
その後、才能を見出されて今は絵本作家としてのお仕事もされているよう。

その個展は本当にキラキラとした良い「気」が流れているな、と感じられたのですけれど、
多分そのとき、ちょうど登り坂が始まるところにおられて、
ほとばしる勢いとそれに応じた環境がうまく調和すると、そんなふうに感じられるのだろうと思いました。

その素晴らしいタイミングにちょうど立ち会えたことに感謝。

表舞台に立つ機運がきたときに表舞台に立つ、
舞台裏に控えておくべき機運のときには舞台裏に控える。

基本的には機運というのはそういう当たり前のことの先にやってくるものですけれど、
当事者になってしまうとなかなかその通りにはできないものでもあります。

ちなみに、
noteのほうでは少し前まで、
星図に現れる、
「自然の姿」
「当たり前の姿」
「世の中の当然の道理」
というものと、
ここの人が持つ星図の姿というのを比較して、
その人にどういう「行動のクセ」「思考のクセ」が現れるのか?ということをやっていました。

例えば、
北方というのは自分にとって目上で、
その目上に対してあるべき姿とは目上という山を乗り越えていくという姿(相剋)であるのが自然。

一方、自分の星図が北方との間で相生になっている場合には、あるべき緊張感や畏怖の念を持たないので、出過ぎるとか馴れ馴れしくなるみたいな現象となるります。

そういう星図ごとの「型」「パターン」とうのを認識してきちんと供えていきましょう、ということなのですが、
そうした世の中の当たり前の姿を認識した上で自分の傾向というのを捉えておくと、
世の中の動きや機運に対して自分の処すべき在り方というのが分かるようになります。

ときどき、「あ、これは失敗」というのももちろんありますが、本来の姿というのが分かっていれば、
それに素早く気づける、
それを素早く修正できる、
その修正がどういう意味を持つかを予め認識できる、
と、いうことにつながり、生きる上でとても有効に機能します。

先日、投稿内容をノートしてくださっている方から、

『自然の姿と星図の不一致のパターンを星を変えつつ何通りも書いていると、
だんだんとそれが腹に落ちていて星図をみただけで傾向がわかるようになりました。』

というご報告を頂いたのですが、
それくらいになると、予め自分がどう処すべきかというのも自動的に分かるようになっているだろうな、と思いました。

算命学は処世術の学問なので、有効に活用されているな、と思った次第。

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