「親切な人」は活躍できない?人生を切り開く上で必要な貫索星、石門星

親切な人
というのは、案外と活躍するのがしかったりします。
「これはあの人の仕事につながるかも?」と間に立ってつないだり、
「この話、あの人は喜ぶかも?」と流れてくる情報を片端からシェアしたり、
「あの人のイベントごとだから行ってあげよう!」と一生懸命自分の時間を割いて他人を応援してみたり。
…こういう人で活躍している人はまずいない、と思うのですがいかがでしょうか。

それぞれは、親切なことであり悪いことではないのですが、
それを業として(=有料で)やっている場合は別にして、
親切で、ボランティアで、何かのお手伝いで、それをしている、し続けている人、というのは、
一生誰かにいいように使われ、一生誰かのお手伝いをし、生涯「自分の人生」を生きることのない、
せっかく与えられて命を、本来の役割のために生かすということを放棄した、ダメな人だろうと思います。

ちょっと過激ですみません。

最近は減りましたが、「インフルエンサー」というのが流行っていた時期に、
無料で、勝手に、インフルエンサーもどきなことをする人たちが大量発生しました。
あるいは、
Facebookのイベントページを使って、素人が〇〇教室、みたいなのを無料で開催するようなのも雨後の筍のようにあちこちに登場しました。

そういう人たちは、
無駄で無益な情報をまき散らした挙句にマーケットから退場していかれたわけですが、
良かった点は、
世の中的にはマーケット規模が広がった一方でアンプロフェッショナルなものが淘汰されたことにより、プロフェッショナルな人たちが順当に潤うようになった点、
そして本人たちにとっては、早い段階で淘汰されたことにより、改めて本来の道へ向かう機会を得られたという点です。

しかし、上記に挙げた「親切な人」というのは、こういう流れを人生をかけてやっているので、ダメな人、と書いた次第。

海外ドラマ『グッドワイフ』の序盤、主人公アリシアが専業主婦から弁護士に復帰をしてまだ日が浅いころに、かつてのママ友の息子がアリシアを頼って相談に来たというお話がありました。
ママ友の息子の相談ということで、上司が「やりにくいだろうからほかの人に代わってもいい」と言ったのを、
「既にそのママ友とは縁が切れているのでやりにくくはないが、この件は別の人に任せ、自分はそのサポートをします」と断ります。

この意味が分かるでしょうか。
恐らくここでアリシアは、
①自分がまだ復帰して日が浅いので自信がない
②(まだ新参者だし)案件をガツガツ取りに行く、囲い込むようなことはしたくない
③案件を紹介すればそれで事務所の役に立つでしょう
という3つの理由が頭の中にはあっただろうと思うのです。

こういう思考は専業主婦の世界、ママ友の世界ででは美徳とされることもあるので、当然といえば当然です。

…が、ある程度大人の世界、本気の世界で生きている人はお分かりと思いますが、
(その意味で専業主婦やママ友の世界は遠慮することで調和が保たれる世界ともいえます)
こういう思考をビジネスシーンですれば「顔を洗って出直してこい」と怒鳴られるか、存在をスルーされるようになるか、あるいはいいように使われるお手伝い要員に堕してしまいます。

ビジネスシーン、と書きましたが、
これは「本気の世界」ということで、

本気の世界を生きるとは、
自分が責任をもって生きるということ。
つまり、「I am」あるいは「We are」の観念を生きる、ということです。
(ちなみにこの英語の「We」は「私たち」ち訳されますが、基本的にこの「We」というのは使っている本人が陣頭に立つ、責任を持つなどきちんと主体性を持っているときに使うもので、誰かに従属している場合や、誰かを手伝うだけなど主体性がない場合には本来「We」を使うべきではありません。)

ちなみに、「I am」は貫索星、「We are」は石門星の観念です。

昨日、貫索星、石門星は自己確立の星だということを書きましたが、
人生を本質的に生きる、人生を切り開く、ということのためには、
その自己確立、「私がやる」「私が主体的に関わる私たちがやる」というのが不可欠で、それ無くしてやる「親切な人」というのは使われるまま、流されるままの人生となりますよ、ということです。

なお、補足ですが、
星図に貫索星・石門星がないような人、
あるいは従化五格に入っているような人や破格の人などは「従うこと」で陽転することもあるのですが、その場合には「何に従うか」「誰に従うか」その対象が極めて重大な意味を持ちます。
よって、のべつ幕なしに「親切」にすることは、こういう人たちにとっても良いことにはなりません。

※昨日、貫索星・石門星について自力で生きていける人、ということを書きましたが、それについての補足の意味で書きました。
貫索星・石門星の強いような人は、何かに乗っかって生きようとしたり、誰かに頼り切ったり組織に依存し切ったりして生きようとしたりするとしんどいように思います。
印象ですが、そういうタイプの貫索星・石門星が強いような人は、顔が割とどんよりと暗めになります。
心当たりのある方は、生き方を見直してみると良いかもしれません。

Photo by 五玄土 ORIENTO on Unsplash

11 件のコメント

  • いつも拝見しております。
    私は、貫索星・石門星を命式に持っていませんが、来年から貫索星大運に入ります。
    命式に持たない星の場合、あまり理解ができない為、上手く生かすことがもしかしたら難しいかもしれませんが、
    なるべく自分の手で切り開くことを目指してみたいと思いました。

    • えりかさん、コメントありがとうございます。
      貫索星大運、楽しみですね!
      貫索星は自己確立のタイミング、
      私も星図に貫索星石門星がないのですが、貫索星大運のときらやたらと独立したくなりました。
      自分でやる、自分のことは自分のビジョンの通りにやる、ということの結果、自分というものが良く分かった時期でもあったように思います。

      貫索星石門星がないと「自分が」があまりないので、他人と衝突することは少ないかもしれませんが、自分のことが良くわからなかったりします。
      その意味で、貫索星大運は多少他人と衝突があるにせよ、それによって自分のことがわかる時期でもあるな、と考えている次第です。

      ぜひ、全き自分の姿を体現されて道を切り開かれますよう、応援しています。

      • 横レス、失礼します。娘は一人っ子ですが、今年から大運の貫索星で今春19歳から一人暮らし、日常の家事やら諸用やら意気込んで楽しくやってます。コロナの影響で家の中の事に集中せざるを得ない環境、創作する時間も十分にあり、緊急事態になった東京生活6日目ですが、落ち着いてます。無論友達にも会わず、貫索的に楽しみは古本屋でこんなにも変わりました。

        • ネコママさん、コメントありがとうございます。
          大人になるタイミングでの貫索星大運、いいですね!
          一人でなんでもやっていく、親御さんからご覧になるととても頼もしく見えるのではないでしょうか。
          時節柄、外にうち出ていける時期でもないですが、こういう状況に強いのも貫索星ですね。
          健やかな成長を私も楽しみにしております。

  • いつも拝見しております。
    禄存星が2つと貫索星・石門星を命式に持つ私は、
    うーんと唸ってしまいました。
    中心が禄存なので、どうしても奉仕的になります。
    ですが生き方としては独立独歩です。
    お陰様で陽占の見方もまた一歩深まりました。

  • はじめまして。いつも拝見しています。
    算命学はまだまだ勉強を始めて間もないのですが、今回のお題は中々理解が難しかったです。
    何度も読み返して思ったのですが、「親切な人」というよりは「自分を親切な人と思っている人」がダメという感じなのかな?と解釈しました。
    私の算命学の師は「最初に成果を絶対に取りにってはなら無い。東方仁徳を意識してタダで奉仕しろ。そうすれば恐ろしく人脈愛情チャンスお金を得ることが出来る。とてつもない成功を収めている人はみんなその法則を知っていてあえてやるんだ。いきなり成果を求めるのは凡人どまり。大きく成功したければ最初に犠牲を払え」とおっしゃっていました。そうすると、対価ありきで動いているうちは大した活躍も出来ずに終わるという事だろうと認識していました。なので、親切やボランティアをすることが活躍できなくなる事となんの関係があるのかちょっと考えてしまいました。
    なので、貫索星のお話の所で「そこに貫くべき信念のない親切は何の意味も持たない」ということなのだろうと解釈してみました。例えば「飢える子供たちをなくしたい」という信念のもと、ボランティアや必要と思う情報をシェアしたり、力を持った人達を巻き込むのと、ただ漫然と「親切で頼れる人と周りからみられたい」というだけで、なんでもかんでもシェアしたり人を集めたりする事では帰って来る物に違いはでるだろうなと。私は主星が「禄存星」でついついそういうファジーな感情に流されがちなので、今回のお話はかなり考えさせられました。

    • いちごさん、丁寧なコメント、ありがとうございます。
      さて、ご質問の件ですが、言葉が足りなかったですね、ごめんなさい。解釈してくださった通り「自分(だけ)が親切だと思っている人」ということです。
      重ねていえば、後段で書いているとおり、親切には自己確立が出来ていることが必要で、それなしに自己満足や日和見的にする親切というのはダメだろうというお話です。

      東方仁徳で奉仕をするとは、他人に益することをする、平たくいえば他人を儲けさせることや楽をさせることをいいます。
      そうでない親切は独りよがりの自己満足となりますよ、ということです。
      現代人の言う「親切」よりもずっと責任や効果が明確にあるのが仁徳と思います。
      よって、そういう相手を儲けさせる、相手に楽をさせる、相手にとって真に役立つ、ということを夥しい量蓄積すれば、間違いなく大成功するというのは真理でもありますね。

      星というのも成長し、歳とともに成熟に向かうものですが、若い頃の禄存星というのは目の前の「何か手伝える機会」に次々と飛び乗ってしまいがちな傾向があるように思いますけれど、それが真に役立つ、そのことに真に責任を持つということができるようになり、そこに軸ができてくると存在感、人心掌握といったものが備わってくるように思います。

  • いつもお世話になっております。
    noteのサークルも参加し学ばせていただいております。

    この記事と前の記事が自分にとって非常に刺さりました。

    >印象ですが、そういうタイプの貫索星・石門星が強いような人は、顔が割とどんよりと暗めになります。
    特に刺さったのがこの部分です。

    星図は中央石門 東西貫索 南北調舒で
    まさに「最近なんかパッとしないな。。」と暗い顔になっている気がします。

    ただ、年運天中殺期間で我を出さず、主張せず、流されるように「私」を出さないことを意識しているので、どのような意識・態度で過ごせばいいのか分からなくなってしまいました。

    このような矛盾はどう捉えたらよいでしょうか。
    よろしくお願い致します。

    • matauiさま、コメントありがとうございます。
      そしてサークルの方でもいつもありがとうございます!
      さて、お問い合わせの件です。
      確かに石門関索は自己発揮をしていく性質を本来持つので天中殺中はその自己発揮がアンバランスになりますし、そうしてアンバランスな自己発揮を抑制すると自分が暗く鬱屈する、というのは納得です。

      天中殺をつつがなく過ごすには基本的には冬眠です。
      よって、石門星の協調協和、貫索星のマイペース、そして調舒のオリジナルの感性表現、というのに内向きに(一人で内向的に)取り組むと良いのではないかと思います。
      他人との関わりはエネルギーを使います。
      天中殺中はエネルギーの少ない時期なのでそういう他人との関わりによるエネルギーの消耗はできるだけ避けた方が良いですし、他人と関わらない石門星なり関索星なり調舒星なりの発揮の方がスムーズな時期と思います。

      調舒星が育つ良いタイミングなのではないかと思いますがいかがでしょうか。

      • ご返信いただきありがとうございました。
        内向きに過ごすことの大事さを再認識できました。
        深い内容がゆえに、こうして質問に答えていただけることが本当に有難いです。

        天中殺期間はあくまで冬眠をベースに調舒星を育てることを意識して過ごします。
        コロナの影響で大変な時期だとは思いますがご自愛下さいませ。
        引き継ぎ学ばせていただきます。

        • matauiさま、こちらこそありがとうございました。
          天中殺は冬眠に加えて他人主導も良いと思います。
          健やかに過ごされますよう、応援しております。
          引き続きよろしくお願いいたします。

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