偏りと宿命中殺と「エゴ滅却プログラム」

最近よく考えるんですが、宿命中殺とか格に入っているとかものすごく偏りがあるとかいうような命式の人というのは、やはり徹底的に「エゴを滅却する」ということに真剣に取り組んだほうが良いのだろうと思います。

自分でプログラムを作って一年か二年くらい徹底的にエゴを封じる訓練をする、みたいな。

従化五格が身弱をもって最上とする、貫索石門を含むと格が壊れるといわれるのは、エゴを出すことなく自分を棚に上げて、徹底的にその偏りを生きることで初めて格が生きる、その格の本質的な姿を示すことができるからだろうと思います。

とある算命学の先生が、格は信用ならんと格を教えることをやめてしまわれたと聞いたのですが、これは恐らく今のような「個性を出せ!」「自分を大事に!」みたいな時代においては、たとえ身弱の人であっても格の偏りの本質を生きることができる人が少ないからなのではないかと思ったのですがいかがでしょうか。

偏りの強い人がエゴを丸出しにすると、常人の域を超えてその個性が発揮されるので、壮大に「自分勝手」と叩かれますし、宿命に中殺のある人がエゴで生きていこうとすると、普通の人には理解できない世界まで行ってしまうので「変な人」のレッテルを貼られて居場所や立場を失います。

一方、偏りの強い命式の人が、エゴを棚に上げてしまうことができれば、その偏りを昇華することができ、そこに「自分」がないのでまわりの人は素直にその成果を認めることができます。

宿命に中殺がある人も、エゴをどこかにおいてそのスケールを生きることができれば、大きな世界で活躍することができ、そこに「自分」がないので邪魔をされたり叩かれたりせずにすみます。

最近のアメリカナイズされた公平的価値観の世の中においては、「エゴも個性」と許容しましょう的な雰囲気があるので表立ってエゴの発揮が叩かれることは少なくなりましたが、本質的に人の世の中においては「エゴ」というのは忌み嫌われるものです。

よって、早い段階で「エゴ滅却プログラム」を実行してしまうのが良かろうと思ったのですがどうでしょう。

なお、本来、格とか中殺がある人というのはそれを消化して生きるために「まわりの人に影響されない」ことが望まれるといわれます。

親兄弟など、家族との縁も薄いほうがその偏りある宿命や中殺のある宿命を活かしやすいといわれたりします。

これは、相手が身近な人であればあるほどエゴが露呈しやすく、まわりに近しい人しかいないとエゴが際限なく肥大化してしまうからなのだろうと思います。

これは、エゴに連なる要素(身強とか木性の星とか)を否定するものではなく、この「ふつうの人」で構成されている世の中で穏当に偏りや中殺を活かすことを目指す場合には、エゴを抑制するのが良いだろうというお話です。

そのほうが、「ふつうの人」の中に活躍の場を見つけやすくなるだろういうことです。

これも一つの一極二元の考え方で、宿命の消化、星の要素の発揮も画一的、一方向になされるものではないことの現れであるように思います。

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Photo by 五玄土 ORIENTO on Unsplash

10 件のコメント

  • 金烏玉兎庵さんこんにちは!
    このお話もっと聞きたいです。

    おっしゃる通りエゴ丸出しはすごく生きにくいので、
    なんとか抑えようと試行錯誤するのですが、
    偏りのある人はエゴ出した方がいいのかな、というのもあって
    どうしたらいいのかちょっと混乱していました。

    先日の、壮年期身弱の星のお話にも通じるのですが、
    私は若年期天将星、壮年期天馳星(いま)なので、今までのやり方は通じないだろうし、
    今年来年は天中殺だし「とりあえず大人しくしておこう」という曖昧な感じでしたが、
    今回のお話が聞けて光が見えた気がします!

    それと、偏り以外にも要素はあるのだと思うのですが、
    友人や同僚とは仲良くなり過ぎると、どうもよくないです。
    人が変わります自分が。そして自ら壊します。

    天中殺のこの2年は自分の取り扱い説明書制作&エゴ滅却にピッタリですね。
    毎回毎回びっくりするくらいタイムリーなお話!ありがとうございます😊

    • カワハタレナさん、コメントありがとうございます!
      偏り=エゴとも限らないかな?と思っています。
      エゴの定義にもよりすが、偏りはエネルギーが一方向に向かう=振り切って生きる、ということだと思うので、そこにエゴを入れないこともできるように思います。
      これは、私が車騎牽牛に偏っているから思うのですが、自分を棚に上げて役目役割に徹する場合、エゴは不要で必要なのは大義や正義です。

      壮年期天馳星であれば、自分のエゴを放っておいて目の前の人や目の前のことに集中するのは容易いように感じますがどうでしょうか。

      • お返事ありがとうございます😊
        以前よりは丸くなった気がします。
        拘りが減ったというか、どうでもいいと思えるようになったというか。
        意識していたわけではなく、自然となんですが、なるほど天馳的ですね😳
        そして、
        いま気づいたのですが、自分は超俺様でエゴが強くて、ずっと変わらなくて、
        と思い込んでるだけなのかもしれないですね。長年つきあっているもので笑

        (それと「最近のコメント」が一覧になって見れる場所とかありましたでしょうか?
        kinugyokutoanさんのいろんな方へのコメント返信がとても勉強になるので☺️)

  • エゴ滅却プログラムのインストール、とても良いアドバイスと思います。
    シンプルに考えて庶民として生きている私は、庶民の仲間の気分を害してしまうと生きる場所が無くなりました。そしたらやはり苦しくなりました。

    壮年期天馳星、晩年期天将星の私のプログラム方法ですが、反省するフリから始める→周りの対応で「ああ、、反省を求められていたんだな」と納得できる。それでも反省出来ず自分の思いばかりで心が苦しい時は、
    「天よ我に苦難を与え給え、苦難は全て跳ね除けず受け止める」と決めて先ずは1週間、1ヶ月、半年、1年過ぎた頃に、自分の気持ちを棚に上げて動いていても起きる事は起きるとわかってきました。最初に楽しい1年を過ごせ無いと腹をくくってやりました。

  • エゴ滅却。私は生月中殺で、火性一気格です。
    今、仕事の方向性で迷っています。
    上から依頼されたり、周囲から期待される仕事に対して自分の能力にそこまでの自信が持てない傾向にあります。しかしそこを避けようとしても、また何らかの形で、同じ仕事が戻ってくるのです。医療系の仕事なんですが、心臓はやめよう、違う分野に行こうと思うのに、逃げてもまたそこに引っ張られていくのです。エゴ滅却というと、自分の意志に関わらず、その時の巡り合わせで依頼されたり、縁のある仕事は、一見、能力不足に感じても、恐怖心を克服したり、まずはすべこべいわずそこに見合う努力をする、身を投じるべきということかなと思いました。結局、反抗しても流れには勝てないように思います。

    • ひとみさん
      返信が遅くなりました。
      一気格の方が普通にまわりの人と強調しようとすると苦しいだろうなぁと感じながら拝見しました。
      「エゴの滅却」は、必ずしも己を殺してまわりに合わせるとことではないように思います。
      一気格の方であれば、仰るとおり「勝てない流れ」の中におられると思うので、その流れに張り切って生きるのが良いのだろうと思います。
      そこに私心を入れると反発されたりうまくいかなかったりしますが、多分「これが役割」「この方向性」というのはひとみさんには分かっているはずなので、それを一つの大義として切り捨てるべきものは切り捨て、無視すべきは無視すれば良いように感じます。
      応援しています。

  • こんばんは。
    今、仕事を終えた所なんですが、その仕事の先輩同僚が甲辰年の壬寅日生まれの宿命互換中殺の生まれで
    正に「エゴ滅却」の方で怒るのも稀で他人の悪口を言った事のない方で、私にとっては数少ない絶対的な信頼のおける方ですね。
    また私自身も壬子年、乙巳月、丙午日(生時時間も午前11時過ぎ生まれで甲午時)生まれで木と火と水の偏った命式なので
    書かれてある事がとても良く分かります。そしてその悪いエゴむき出しの例もその先輩同僚の私の前に組んでた方で
    戊戌年の己丑日生まれの土性の強い方で大変身勝手で我侭に振舞った挙句、配置転換となり、そのあと勤務時間内に飲酒し
    クビになりました。私とは第一印象は悪くなかったものの、四回目くらいの面識の時に、その相手から突然怒鳴りつけられ
    私も受けてたち大喧嘩となりました。(笑) 酒が大好きでアル中だったようですが、その方にしても互換中殺の先輩同僚にしても
    エゴむき出しの人生は不幸であり、エゴの滅却が幸福な人生への近道だという事を感じさせられた次第でした。

    • 紅虎さん、こんぼんは!
      エゴ滅却、大事ですよね。私自身も日々エゴ滅却の修行中です。
      エゴと偏りの両立はなかなか難しいですが、高尾宗家が「精神性が高まることで禍を環境に見るようになる」とおっしゃられているので、その言葉を頼りに日々算命学、東洋思想を、学んでいる次第です。

      なんとなくですが、算命学の原理理論に基づいて行動していると楽チンだなぁと思います。
      このあたりは大きな組織の一員として働いているからかもしれませんがそう思います。

      紅虎さんは頭も良く華やかな命式ですよね!
      頭の良さと華やかさがともに強いと、生半可な人には耐えがたいかもしれないような印象ですがどうでしょう。

  • 金烏玉兎庵様
    昨年より縁あってこちらを知ることができ、記事を拝見しております。
    私が勉強していたときには気づかなかった点などが書かれていて面白いなぁと思っています。
    さて、私は命式の半分以上が中殺されているので、
    まさにエゴを捨て、受け身で生きるのが善しとされている人間ですが
    エゴを捨てて周囲のために生きようと思った結果、周囲の人間にいいように利用されてしまい
    身も心もボロボロになりました^^; 自身の中のエゴの解釈が誤っていたのかな?と今は思います。
    (滅私し過ぎて自分をいじめすぎたのかな…)

    金烏玉兎庵様の思う「エゴ」とはどのような感じのものでしょうか。
    周囲の人間のエゴについても感知しつつ、自分のエゴと中庸を取るような生き方でしょうか?

    • あささま、コメントありがとうございます。
      別の方のコメントへの返信でも書きましたが、エゴ滅却=他人にすべて合わせるということではないように思います。
      自分の信じる道を私心なく突き進むことと私はとらえています。

      中殺されている場合受け身が良いというのは、普通の社会で普通の人たちと過ごす場合の処世術です。
      よって、宿命を本質的に消化しようとするなら、自分がより広い世界で何が為せるか、その世界に世間や常識の枠を超えて突き進むことがその道と考えます。

      他人のエゴは無視していいんじゃないでしょうか?
      私は、エゴでものをいう人はある一定のラインを超えたとこよで無視するようにしています。
      そうでないと、足を引っ張られたりしますし。

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