精神の貴人、行動の野人

乙巳(いっし)の変、と言っても分からないと思いますが、大化の改新へつながるクーデター、中大兄皇子中臣鎌足による蘇我入鹿暗殺が乙巳の変です。

宿命天中殺のなかに、
特定の日干支であれば即、宿命天中殺に該当する干支というのが4つあり、
乙巳(いっし)はその一つで、
この干支を持つ人は「精神の貴人、行動の野人」といわれ、言うことは立派だけど行動が伴わない、ともいわれる干支です。

これには理由があって、
現実というフレームの中に自分の存在を認識できない精神構造、
「超客観的」なので、現実を別世界のことのように見つめます。
なので一生懸命キレイゴトを言うけれど、どこか自分のことは棚に上げたりします。
ただ、そのことを本人も認識していなかったりもする。

ただ、だからこそ「正しさ」を掲げて突き進むことができ、そこには自らへの反省や逡巡がないので、凄まじい推進力を持ったりします。

この天中殺は、日居天中殺、というのですが、
それが苦しい、という話を聞きつつ思ったのは、
恐らく、何かを実現したり変えたりするときには、
「自分のことは棚に上げてキレイゴトを盾🛡に全力で戦える人」というのが必要なとき、というのがあって、
その評価の是非はともかく、その役割を果たすという宿命を持っているのだろうと思います。

実際、日居天中殺のひとは、周りでもオープンな場とかメディアとかに積極的に出て、語ったり発信したりしています。

大化の改新が、日本史上重要な意味を持っているように、
日居天中殺の人というのも、重要な役割を担うのではないかな、と思います。

Photo by 五玄土 ORIENTO on Unsplash

4 件のコメント

  • すみません。
    質問があるのですが、日居天中殺いうのは辰巳が冲殺されるので、辰巳天中殺のような現象が起こるのでしょうか?
    あと精神虚になるのでしょうか?
    自分の日干支なのですが、いまいちよく分からないです。

  • 日居天中殺は東西が欠け、辰巳天中殺は天頂の欠けなので、中央(現在)と南北(高い精神性というのは天頂なので、目上目下の関係としての意味で)が生きます。
    天中殺理論は立体五行(六方位)で見ますが、そのうちの中央と南北が生きるという意味です。
    よって、友人や配偶者は東西的な横のつながりではなく縦のつながりの中に生まれるものが順当、また家族でいえば、家系は精神のつながりですがその精神(天頂)が欠けるので家系とちがうカラーの世界で生きるのが順当と思います。
    精神というのは自己の内面でもありますが、その自己の内面と現実の不一致が順当でもあり、その不完全さの葛藤の中に安定があるという言い方もできます。
    端的にいえば、飽くなき完全性を求め続けることが宿命付けられた運命でもあり、もし何か満足を得ようとする場合は、心が満たされることをモノサシにするのではなく、自分で目盛りを設けてそれをクリアするたびに自分を褒めていくような生き方が穏やかな気がします。
    但し、自分は満足しなくても、他人からの評価は得られると思います。
    そしてその場合でも、東西は欠けるので横線の対人関係ではなく縦線の人間関係からの評価ということになるように思います。
    私もまだまだ初学者ですが、私はそのように理解していますがいかがでしょうか。

  • 生年中殺は東と北の貫索と若年期の天禄が中殺されますね。
    これは割と理解しやすいと思います。
    日居中殺の日居は、その次元と別の次元、現実世界ではなく精神世界の中殺です。
    先ほどの質問を整理してブログアップしたところに、その図もつけたので参考にしてください。
    なので、星図にある星でダイレクトに中殺されるのは生年中殺によるものだけです。
    日居天中殺と日座天中殺は、六十干支を円に並べたその場所における欠けで、当然に日干も中殺されているわけですが、それは全体に対する捉え方、感じ方、として現れるとののように思います。
    なんといっても、次元が異なりますので、同じ次元では論じられないという考え方です。
    参考になれば幸いです(^ ^)

  • 六天中殺とは次元の違う天中殺ということですね。
    なんか納得しました。やっと理解出来た気がします。
    嬉しいです!
    ありがとうございます(*^_^*)

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