銀行員で天将星などがあって偉くなった人はいないかな?
と調べていたら、みずほの副頭取までなられた西浦三郎さんが壮年期に天将星がある人でした。
この方は、みずほ銀行の副頭取まで務められ、その後ヒューリック(当時日本橋興行、みずほ傘下の不動産会社)に転じ、社長として同社を上場させ、以来9年で時価総額を12倍まで増やし、2018年3月時点で、三井不動産、三菱地所、住友不動産に次ぐ不動産業界第4位の時価総額にまで育て上げられた天将星をピカピカに光らせた方。
いかにも天将星的ですが、
普通は大きな組織では保守的な反発にあい、天将星がそんな活躍をすることはない気がします。
星図を見ると、
銀行員的には火に剋されまくっている牽牛星が気にかかるところですが、
よくよく見れば、牽牛星を除いてすべて火性(鳳閣調舒)の準鳳蘭局。
これは天将星云々とは別の別格的な扱いになりそうですが、
それでも準鳳蘭局のような壮大で力強い宿命を銀行のような組織で発揮できることはなかなかありません。
この人が天将星などを持ちつつ、
準鳳蘭局などを持ちつつ、
組織の中で偉くなれたのはなぜなのか?
と、考えつつ、この方の略歴を見たら合点が行きました。
この人が偉くなったのはみずほ銀行が激動の渦中にあった時期にぴたりと符合しています。
その動乱の中で天将星を余すところなく発揮できたからこそ偉くなることができたのではないかと思いますがいかがでしょうか。
ざっとさらうと、
この方が初めて支店長になったのは平成5年、バブルが崩壊し、銀行業界の混乱が始まった頃のこと。
(ちなみに当時45歳の初支店長は必ずしも早くはなかったと思います。)
そして、怒涛の快進撃的昇進を始めたのは平成10年から。
平成10年といえば金融ビッグバンの年で、それと前後して銀行がバタバタ倒れたり合併したり、銀行業界は大混乱の時代でした。
常務に就任した平成12年には日本興業銀行、第一勧銀、富士銀行の三行合併が角突き合わせつつも合意され、みずほHD傘下入り。
平成14年にはみずほ銀行が誕生した際も引き続き常務執行役員継続ですが、この存続会社は第一勧銀なので、西浦さんは外様扱いだったと思われます。
そういう動乱の、そして逆境的な環境だったからこそ天将星が光ったのではないかと思います。
ちなみに陰占で特徴的なのは東の子午対冲ですが、まさに「宿命と環境の一致」で、
上記のような大混乱の中を、水を得た魚🐟のように活躍されたのが眼に浮かぶようでもあります。
そして西の半会で結果がしっかり膨らんでいるのも宿命どおり。
「宿命と環境の一致」についてこのところ重ねて書いていますが、
そうして東の対冲の環境をしっかり消化し、
混乱の中でパワフルに立ち回って天将星も消化したからこそ、上記に挙げたような活躍をし、現在の晴れやかな姿があるのだろうと思います。
なお、こうしてみると、
やはり今のような平和で銀行がまだ安泰な時期には、身強の人は偉くはなれないような気がします。
が、フィンテックやら何やらがもっと世界を席巻するような、
既存の銀行がバタバタし始めるような、
そんな銀行業界の動乱の時代が来るとすれば、その時代は身強の人の出番であるといえるかもしれません。
ちなみに余談ですが、そういえば知人で天将星が壮年期にある銀行員の方がおられますが、
この方は銀行業界にとっての動乱の場であるフィンテック事業において活躍しています。
(偉くなるかは分かりませんが)
※こちら、西浦会長のとても晴れやかな記事。
『上場で「見られる」ことを意識 1年毎日違うネクタイ』:日本経済新聞 https://style.nikkei.com/article/DGXMZO50182830V20C19A9000000/
略歴は以下の通り。
昭和46年4月 ㈱富士銀行入行
平成5年5月 同目黒支店長
平成7年5月 同数寄屋橋支店長
平成10年6月 同取締役法人開発部長
平成11年5月 同取締役営業第一部長
平成12年8月 同常務執行役員法人グループ長兼法人開発部長
平成14年4月 ㈱みずほ銀行常務執行役員
平成16年4月 同取締役副頭取
平成18年3月 旧ヒューリック㈱代表取締役社長
平成24年7月 ヒューリック㈱代表取締役社長
平成28年3月 同代表取締役会長(現任)
※命式は例によってセラファムさんのアプリで出しました。
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