伴星と才能の在り処

私の伴星は調舒星です。
伴星が調舒星、龍高星、車騎星の三大奇星の場合、年の天中殺の時期は波乱があるので注意が必要といわれます。

伴星のそれぞれの星の意味は先日ご案内しましたが、調舒星の意味は、
『特別な感性と才能を授かっている。常識を超えた発想で人の気持ちを知ることができ、人の心を救済することによって自分の心を大きく変えていく。そしてそれが一生の支えになる。』
とあります。

何をもって「特別」というかは分かりませんが、人と違っているなぁと感じることはよくあります。
ときどき非常識でもあります。
なので、それも星通り順当ということなのだと思います。

人の心を救済するなどとはおこがましい限りの私ですが、
算命学を学び、生きにくいと感じている人に「生きにくい」ことには理由があること、
生きやすくするためのアプローチを参考としてご案内することで、ラクになる人が一人でもいたとすれば、その役割を果たしていると言えるのではないかと考えています。

調舒星は伝達の星ですが、
人様の命式を拝見し、それを自分が理解しているレベルで同じ理解を伝えるというのは私にとってはまだまだハードルが高く、難儀しています。
このあたりは、主星が牽牛星であり、そこに相剋があるので相応の試練と葛藤が生じ、簡単にはこの調舒星の伴星を光らせることができないということでもあるのだろうと思います。
なので、倦まず弛まず日々精進あるのみ。

ちなみに、才能占技において、剋線の最も多い星が才能の在り処といわれます。
これは、才能とは磨くことで光るものであり、剋線のあるところは光らせるのが難しいため努力をする、その努力を重ねる場所が才能であるという意味でもあります。
簡単にできることは、努力しないもの。
言い換えれば、努力することが宿命づけられていることにこそ才能があるということです。

なので、
「できない」ことは、向いていないことではなく、
「できない」けれども気になることは、努力して「できる」に向かうのが宿命であり、
そこに努力を傾けることがやるべきことであり、
つまるところ、そのことにどれだけ早い段階で気づくか?ということなのだと思います。

自分の持つ星というのは、
基本的にその適性があり、気持ちが向かう先でもあります。
言い換えれば、真に気になることは、その才能を持っているということであり、それを生涯誤魔化すことなど誰にもできないこと。

世間的な価値観や社会的な常識に沿った選択を、若いうちはついしてしまうものですが、歳を重ねていくその道のどこかで、誤魔化しきれない時がきます。
それが20代なのか30代なのか40代なのか、
あるいは50代か60代か70代か。
早ければ良いわけでなく遅いことが悪いわけでもなく、どのタイミングであれ、自分の道に向かうことが大事なのだと思います。

気持ちが向かう先に試練があり、努力を必要とするとしても、剋線があればそれで順当です。
避けるべきは、いい年になってなお「世間的な物差し」で何かを決めること。
そんなふうに誤魔化したまま六旬目を迎えると、そこでかなり苦しい自体に遭遇するか、あるいはその六旬目を超えられないという事態になりかねません。

なので、自分に対しても、そのことについては厳に戒めておきたいと思います。

Photo by 五玄土 ORIENTO on Unsplash

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