地球暦

「地球暦」というカレンダーがあります。
大きなポスターサイズの紙に宇宙の惑星の軌道が書いてあり、それがカレンダーになっています。
※説明が難しいので、気になる方はこちら:http://heliostera.com/article/2019/

このカレンダーを眺めていると、
泣いても笑っても、地球は動いているんだなぁということが体感できます。
私たちが何をしてもしなくても、惑星は巡り、弛まず進み続けるんだなぁと感じます。
そして、この世界が確固とした調和の中にあることを知ります。

算命学の源流にある『淮南子』という古典には、
「天地の自然を尊重していくならば、宇宙全体さえわざわざ手を下すまでもなく安定する」
という言葉がありますが、その世界に通じるものを感じられます。

このカレンダーはこうした世界観のある種のパラダイムシフトを促すとともに、
自分の生活についての洞察ももたらします。

天にあることは地にある、
と、いわれる通り、宇宙観・世界観は、そのまま人生観や生活観につながるもの。
例えば、
自分が宇宙の一部であることにも気づきます。
調和を乱すような存在は淘汰されるであろうという気づきとともに、
自然の一部としてその役割を果たすことに命の光の意味があることにも気づきます。

それが小さなものであれ大きなものであれ、
悪であれ善であれ、他と異なる自分の生きる道を光らせることに存在の意義があるのだろうという洞察が得られます。

また、一般に悪とわれるものにも存在意義があり、淘汰の対象というのは、悪事の担い手ではなく、調和の破壊者であることにも気づきます。
悪というのも個性であり、
さらにいえば、悪とされるのも主観者から見た一側面であり、別の面から見れば善ということもあります。
これは、毒とされるものにも薬効があることと同義です。

一方で、
多様性の宇宙の中で、同じものは二つ並び立つことができないことにも思い至ります。
宇宙に「全く同じ」ものは存在しません。

個性の発揮とは、オンリーワンであることであり、
オンリーワンのオリジナルとして生きることにこそ価値があり、
そこに天命があり、生きることを許されます。
模倣や擬似は弱さに起因します。
オリジナルに目を背けて生きる弱さは砕かれ、存在することを許されません。
いわゆる淘汰はこうして起こるのだろうと思います。

人間関係において律音がある場合、
別の世界で生きるべし、と言われますが、
それはこうしたことに寄るのだと体感できます。

「地球暦」、安いものでもないので毎年買う必要もないかな?
と思っていますが、
宇宙の中の自分を感じたくなったとき、
宇宙の調和の視点が失われているな、と感じたときにはおススメです。
ちなみに、私は3年に一度くらいのペースで買っています。
税金の勉強なども3年に一度ずつ、完全に失われると困る知識でも毎年だと窮屈なので、私の場合はそれくらいがちょうどいい感じです。

Photo by 五玄土 ORIENTO on Unsplash

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