アリとキリギリスと生き方の話

アリとキリギリスのお話があります。
気候の良い時期に遊ぶことなく働くことで寒く作物の取れない時期を平和に過ごすことができるアリと、
気候の良い時期に華々しく遊び、そのために寒く作物の取れない時期に飢えて苦しむキリギリスのお話です。

このお話は、
老後を平和に過ごしたければ、
若いうちにラクをすることなく働いて、稼いだお金はきちんと貯蓄をしましょう、
というお話に転換され、ある種のプロパガンダに利用されたりしています。

このお話について、
原作では、アリに恵みを乞うものの、
アリに「あなたは遊んでいたでしょう」とピシャリと言われて拒まれて、キリギリスは死んでしまいます。
一方、子供向けの本では、
困っているキリギリスにアリは働くことの大切さを諭し、食べものを恵み、キリギリスは改心する、というお話になっていたりするのですが、
このお話を算命学的に考察すると、
どちらのパターンにせよ、真実ではないな、と私は思っています。

私が思うに、
キリギリスはラクに楽しく生きていく先で困ることはないし、
アリがコツコツ働きそして食べものを貯めていくのは、冬の空腹を避けるためではなく、その生き方がアリの性質だからだと思っています。
そして恐らく、アリもキリギリスも、それぞれに実は幸せなはず。

東洋経済あたりのネット記事などで、
年収1000万円以上の人は浪費癖が育ちやすいので、貯金がなく老後困るだろうという記事とか、
若いうちに貯金をしなかった老人が貧困に陥る記事などがありますが、
私の知る限り、まわりにそういう人はあまり見かけません。

年収1000万円以上の浪費癖のある人はいますが、そういう人はなぜか晩年になってもどこかで何かしら仕事を得ていたり、不思議とお金が回っています。
若いうちに貯金をしなかったという高齢者もいますが、そういう人は友達が多いようで、お金のかからない楽しみを見つけていたりするもの。

あるいは、
若いうちの友達を大切にしないと、大人になると友達ができにくいので、
老後のために友達を作っておきましょうと言われたりすることもあります。
仕事漬けだった団塊の世代の男性が孤独な老後をおくるような記事などあちこちに転がっています。

しかしまわりを見ていると、しっかり働いた人は働いた人なりの哲学があって、それが人を引きつけたり、それに基づいて必要に応じて友人を作っていたりします。
私も、最近勉強ばかりしていて、このところあまり社交の場に出ないので、
「友達がいなくなるよ」と脅されたりしますが、それなりに誰か相手をしてくれる人はいるので、あまり困らない感じがあります 笑

将来の不安、
何かネガティブな想定に基づいて今を決めるというのは、
あまり意味がないな、と私は思っています。
今を充実させていれば、道は開ける、と思います。

それどころか、
将来の不安やネガティブな想定に基づいて無理をしてお金を貯めるとか働くとか、あるいは友達を作るというのは、
本来の道、宿命から逸れてしまうように思っています。

人はお金のためだけには働くことができず、単なる「高給」というだけで長くその仕事を続けることができないものですが、
貯金にしても友達作りにしても、同じだろうと思います。
そして、そこで無理をすると、
思わぬアクシデントや病気に見舞われたりすることが多いのですが、それは宿命を逸れているからだろうと思います。

その意味では、
現時点で自分に必要ないと思うなら、
それにはその意味があって、
それが正解です。
そして、先々困ることはないし、たとえ困ったとしても、多分なんとかなります。
自分にとって正しいことの先には、道が開ける、というか。

決して、
貯金も友達作りも、そして勉強も、否定するものではありませんが、
もしそれをするにしても、
それは、将来不安ではなく今を充実させること、あるいは何か自分の本質的な願望のためにすることが大事だと思います。

Photo by 五玄土 ORIENTO on Unsplash

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