葵型家族と成功の代償

他人の運命を破壊しながら自分が伸びていく人というのがいる、
ということを『テレプシコーラ』の考察のところで書きました。
宿命に天剋地冲を持つ人というのは、そんな他人を踏み台にして成功できる人たちです。

「踏み台にして」などと書くと眉をひそめられそうですが、
森羅万象の自然の一部として、
弱肉強食、自然淘汰の仕組みの一部として、
そんな存在にも意味と価値、そして役割があり、
それを一概に「悪いこと」とするのは現代社会的な見方であって、長い歴史の中では、それによってもたらされる恩恵というのもある、という視点は中庸のある生き方をする上では大事だろうと思います。

さて、宿命天剋地冲は個人の場合でしたが、
これの集団版というのもあります。

他人の運命を破壊しながら、
家族や集団が上昇し続けることができる

ちょっと関わりたくない感じですが、
そういう型も算命学では説かれています。
なお、この型は日本人には少なく、流浪の民であったユダヤ人や、祖国を離れて活躍する華僑などに多いいわれます。
その意味では、祖国から日本に帰化移住しているような人の中には、こうした型の家族や集団の人もいるかもしれません。

こうした家族(集団)を、
葵(さい)型家族といいます。
繰り返しになりますが、「家族」でなく、会社や活動グループのような集団でも同じなのです。
どんな型かといえば、
家長や社長、グループのトップが宿命二中殺と初旬納音がある型です。

いわゆる「宿命二中殺」は生年天中殺と生月天中殺を持つ場合ですが、
宿命に2つ何かしらの天中殺がある場合もこの変形としてとらえます。

この型に当てはまる人たちは、
たいへんに大きな力を持ち、普通には想像もできないような経済的な恩恵に恵まれます。
確かに、ユダヤ人も華僑もお金持ちです。
他人の運勢を飲み込みながら、
どんどん成功し経済的な成功を収めていくので、それは見事なもの。
彼らは他人の財産や名誉、地位などの「福禄寿官印」を壊しながら邁進していきます。

しかし良いことばかりでなく、
そうした成功の一方で、生涯にわたり精神的な安住はないともいわれます。
つまり、経済的にはたいへんに恵まれますが、精神は不安定、葛藤の中な生きる宿命の人たちでもあります。

天将星の稼働条件は艱難辛苦であり、
大運天中殺の陽転条件がその前の時期の大きな運勢の落ち込みであったのと同じように、
国を捨て、安住の地のない中の困難と精神の不安定が、こうした経済的な成功につながるという意味では、
陰(精神苦)と陽(経済的成功)が見事にバランスしているわけで、これも自然の法則の顕現の一つの有り様であるということなのだと思います。

なお、この葵型家族(集団)の場合、
共通干支を持たない子供(構成員)が生まれる傾向にあります。
共通干支がある場合、互いに宿命が絡み合うため、葵型家族のなかに共通干支のある子供が生まれると、その特殊な運無為の渦に巻き込まれて育ちにくいからだそうです。

ちなみに、
この型を取り上げたのは、
算命学を確率論で語るのが愚であることの証左となるからです。
一つの集団や国、あるいは星(地球)のなかに、満遍なくバランスよく算命学で説かれる運命が存在しているわけではなく、その環境や時代によって、偏りがあるのだということが、この型を知るとよく分かります。
※参考文献:高尾学館「算命学 心技編 」上巻

Photo by 五玄土 ORIENTO on Unsplash

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