天中殺期間に定まりつつある人間関係の指針

美しくデコラッピングされた薄っぺらな成功談があちこちに転がっている中で、
昨日は「一度成功した人たち」が敢えて茨の道を選択している、
そのモチベーションとなっている生々しい欲求に触れることができた楽しい時間でした。

 

算命学を学び始めて「ホンモノ」に生で触れることによって得られる刺激的でsparkleな営みに強く興味を惹かれます。

昨日はそんな「ホンモノ」を垣間見た(飲み会の席だったので、もっと突っ込みたいところをガマンガマンで)素敵な時間でした。

 

出来上がったものではなく、
出来上がる「プロセス」だからこそそこにダイナミックなドラマがあり、
そこに共感したり感動したりできます。

 

虚構に満ちた成功談というのがFacebookで流れてくるそれについて、
「“いいね!”しがたいね。」
という点において私たちは同じ魂を共有していて、
それをよそに「自分にとってのホンモノ」を手探りで追求していく。

相手を評価はしても称賛はしない、
そういうフェアな場所というのは、
それぞれが別の分野で活動しているにせよ、
同じくらいのレベルで活躍している場所において成り立つのだろうと思います。
そういう場所におけるコミュニケーションというのは魂に響きます。

 

人間関係を広げない。
そう決めている2年間の中で、既知の人たちと深める時間の貴重さを感じています。

 

新しいことを始めない。
人間関係も広げない。

そう決めて過ごしている中で、
昨日今日と、既知の人たちの活躍や大きな発展を予見させるプロセスを聞く中で、彼らの輪郭を改めて捉える機会をいただけたことの尊さを感じるとともに、大げさですが、それを誇りに思いました。

 

人間関係を広げるよりは狭める方向で過ごしているのですが、限られた範囲に投入するこちらの覚悟が伝わるからか、既知の人たちと関わる深さが平時のそれとは比較にならない感じです。

 

賛否あるとは思いますが、
「この人!」
と決めてしまった範囲の外にあるものを排除する決意が周りに伝わると、
その「この人!」の範囲の中にいる人は、その覚悟に応えてくれるような印象もあります。

 

職業柄、
初対面の人とも仲良くするスキルはありますが、それを封印して既知の人と向き合うことで、引き出せる魅力や情報というのは、格段に異なるようにも思います。

 

本気の本音のところを引き出すには、
「だれにでもいい顔をする人」
を捨てなければならないんじゃないこともあるのかも。

 

「みんな」とうまくやる才能がある人、
「みんな」の賞賛を得る才能がある人は素敵です。

 

でも私は、
そこにある嘘に敏感に反応してしまって素直に賞賛できなかったりするややこしい人間で、
そのややこしさゆえに付き合う人の範囲が限られてしまったりするのですが、
それは個性であり適性でもあるということが何となく分かってきた1年半(2年のうちの3/4)なので、当初決めた2年を過ぎてもこの路線でいくかもしれません。

 

人間関係を広げない、と言いつつ、
たまにフックがあってその人の真実に触れられたりするとつながることもあります。

 

私はその人のカッコいいところとかよく出来た話ではなく、
そこに向かう生々しい真実の欲求、
そこに至る真実のプロセスというものに興味があって、そこを共有してくれる人との関わりを大切にしたい。

 

劣等感から生じる欲求ではなく、
その人の人生における欲求というのはとても力強く、ゴッホピカソの壮年期以降の作品の激しさのような引力があります。

 

算命学の星図というのは、
穂をものの欲求を得たとき、
ギリギリの状況に追い込まれたときにその姿をくっきりと現すもので、
そこに真実を見ることができるのですが、

そういう真実というのは、
それがたとえ破壊的な現象を伴ったとしても美しい感動があります。

 

人に見せないカッコ悪さとか、
人に言えない壮大な欲求とか、
そこに嘘や取り繕いがなければ、それ自体が完成美を感じさせたりします。

 

そういうのを共有してもらえる人と関わりたいし、
そういうのを共有してもらえる自分になりたい。

 

閉じこもりがちに過ごしているここ1年半ですが、
自分の人間関係を築いていく指針が明確になりつつある最近です。

Photo by 五玄土 ORIENTO on Unsplash

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