『論語』にいう「朋」とは

『子曰わく、学びて時に之を習う、亦説(よろこ)ばしからずや。
朋遠方より来る有り、亦楽しからずや。
人知らずして慍(うら)みず、亦君子ならずや。』

これは孔子による論語の冒頭にある一説で、

先生が言われた。
「学んでは実践し、その学んだことの意味を知ることはなんと喜ばしいことだろう。
そうやって学んでいたら、遠方から同じ志を持つ人がやってきた。
これはなんと喜ばしいことだろう。
しかし他人が自分の学びを知らなかったとしても気にすることなく(恨むことなく)学び続けるとすれば、それは立派な人物といえるだろう。」

…というような意味です。

最近、NHK大河ドラマ『青天を衝け』の影響か、本屋に行くと渋沢栄一関連書籍がうず高く積まれていて、
その一角には必ず渋沢栄一が尊んだといわれる『論語』の本も置いてあるので改めて論語を読み返しているのですが、

こうして読むと、改めて、
「味わい深い文章だなぁ。」
…と思いますがいかがでしょうか。

この文章は小学校?中学校?義務教育の教科書にも出てくるので、たいていの方はご存知と思いますが、
老子や荘子、その対極のような韓非子、あるいは孫子などに比べると、
論語というのはどうにも「当たり前」すぎて退屈に思えるもので、
あまり積極的に読むことなく過ごしてしまいがちなのですが、

私くらいの年齢になると、
なるほど、そうはいってもやはり結局は「当たり前」のことが大事なのだと、得心するところもあり、
また、あちこちに論語が並んでいるのは「これを機にきちんと読め」と言われている感じもあり、
改めて読み直すことにした次第。

さて、
私はかねがね、
似たような人とつるみ続けることや、
見知った人とばかり時間を過ごすことの弊害というのを繰り返し書いていて、

例えば日干支が律音していたり、
重ねて律音があるような人とつるんでいると良くないですよ、

ということを言っているのですが、
この論語にあるところの、

「朋遠方より来る有り、亦楽しからずや。」
というのも、そのことを含んだ文章であろうと思います。

「朋」とは、Google先生によると、
「肩を並べる同僚。同門の仲間。」のことなのだそうですが、
これは、自分が確立する前の、律音の関係にある存在のようなものといえ、

そういう似たような仲間、同じような環境から出た仲間というのは、
その環境でぬくぬくとつるみ続けたり、
助け合いという名の互助会でハードル低く互いを守りあったりするべきではなく、

互いにあるべき環境に身を置き、
厳しさの中で頭角を現すべく研鑽を重ねていく、
そしてその先において互いに頭角を現し始めたところで双方を訪ね合うのが、

きちんと自分の足で立つ人間、
自分の才能を克己の先に発揮していくことのできる人間の、
あるべき在り方なのであろうと思います。

ちなみに、
ちょっと怖いことを書いてしまえば、

互助会的馴れ合いのすべてがダメなのではなく、
その人の集団の中の中心、トップに立てば、
その互助会的馴れ合いの参加者のすべてのエネルギーを総取りできます。

そして、
その中心、トップに立っている人というのは、
自分の個性をきちんと発揮している人、と思います。

ときどき、
お金のために個性からかけ離れたことをしている人がいます。
目先のお金に転んで、個性が損なわれるようなこと、個性を磨く機会を逸するようなことにかまけていると、あまりよくないだろうと思います。

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