ない星を目指さない潔さ

本日はとても良い天気で、東向きの自分の部屋から青い空が見えてすこぶる気分が良いです。
私は家から出ずに過ごすことが全く苦にならないタイプで、
むしろ家にこもっていると、普段気づかないことにいろいろと気づけて面白いな、と思います。

さて、そんな中、最近よく使っているnoteの、他の方のサークルなどを見ていて見つけたのが、歌人 枡野浩一さんという人。
和歌や短歌は好きですが、私が好むのはせいぜい明治期くらいまでの歌人であり作品なので、よく知らなかったのですが、
この枡野さんという方は、本人が「世界一売れている現役男性歌人」と自称するだけあって、短歌の家活動のみならず、小説や詩、作詞などのほか、演劇評や漫画評など様々な分野で活躍されている方のよう。
ちなみに、高校の国語に教科書にも作品が掲載されていたり、作品が映画化されたりもしています。

この人に興味を持ったのは、それだけ活躍されているのにこれまで受賞歴がまったくないという点。
なんでも、角川短歌賞において、審査員5人のうち4人の最高得票ながら受賞を逃しておられたのだとか。

それを見て、「あーこの人は、名誉の星がないんだろうな」と思ったら、案の定、名誉の星は皆無で、代わりに財の星である禄存司禄がてんこ盛りの人でした。
どおりで受賞歴はなくても「世界一売れている」わけですね。

ちなみに星図は画像を添付しましたが、北方に鳳閣星があり、ほかは司禄星と禄存星が二つずつ、で鳳蘭局、
陰占でいえば従生財格の人なので、名誉のために権威に屈することなく、我が道を進んできて今があるのだろうと納得した次第。
補足すれば、一つの表現が様々に展開して財を生んでいく、この人はたいへんに財に恵まれた人生を送られているのだろうと思います。

名誉の星がない人というのは名誉を目指さないことで美となるわけですが、
この人はそれを知ってか知らずか、noteなどを拝見していると、特に名誉を目指すことなく、自らの表現活動と健やかで自分らしい生き方を楽しんでおられるようで、潔く星の姿をそのままに生きる、そのお手本をまた一人見つけたようにも思いました。

ない星、というのは、目指すのではなく「結果として入ってくる」というのが一番望ましい得方です。
そしてその「結果として入ってきたもの」にも執着することなく、無頓着に扱うくらいのほうがよさそうな感じがします。

ちなみに、私は財の星は一つもないので、お金にまつわるだいたいのことは「実験」であったり、「役割・プライド」のためであったりします。
実験は極星である龍高星のため、役割・プライドは牽牛星のためです。

以下、noteへの新規公開分のお知らせとご相談にかかる「お礼」についてのご案内、ご説明です。

〇昨日、noteに4月2週目の公開分をアップしました。
合わせて、4月1週分、2週分それぞれをまとめて「マガジン」としても掲載いたしましたので興味のある方はご覧くださいませ。

※こちら:https://note.com/kinugyokutoan

〇「お礼」について
このところ、お礼の価格帯に幅がありすぎてどうすればよいですか、というご相談や、突然価格を設定したのはなぜですか?ということのお問い合わせをいただくことについてのご案内です。
これは、いただくモノが増えすぎて困ってしまったこととあったに加え、
とある方が、おそらくは家に保管していたのであろうお酒を汚れた紙袋でお持ちになり、その際の言動から、私にご相談をされたかったのではなく、お金がかからないからご相談にこられた、という様子が感じられたことによります。
本来は、お金をいただく必要はまるでなく、むしろ「お礼」による運営のほうが好ましかったのですが、「お金がかからないから」という卑しい思いでお越しになる方の対応は致しかねるため、価格を設定させていただきました次第。
なお、価格はこれまで拝受いたしました金額の幅で設定しておりますが、事情によっては「お礼」での対応もいたしますので、お問い合わせくださいませ。

4 件のコメント

  • 貫索、石門がない身弱、エネルギー110なのですが
    貫索大運が六年前から巡っています。
    26から大運が周り、寛解前と30からの寛解後も独立したい自活したい、己の道を歩みたいという気分になっています。
    なんというか運命の不思議さを思います。
    休んでられないというか、病が落ち着いたから次これねというか苦笑
    占い師さんには貫索、石門のない自我薄が一つの武器になるのではと言われました。
    主星禄存、腹と伴星に司禄があり相手に合わせた奉仕の気持ちで仕事をすることが良いというふうに。
    ただ、確かにお書きになられたように何に従うかが重要なのだろうなと気付かされました。
    今は貫索大運の影響もあり自己確立を目指していますが、石門大運やそれ以降どういう風になっていくのか、まさにこれも以前お書きになられたと思いますが、青写真といえ楽しみでもあります。

  • 算命学研究所というサイトでは貫索、石門がないことを自我薄と表現されていました。
    その中の一つに自分の立つ世界に自分しか身を置かないということが書かれていたのですが、これも
    貫索、石門つまり自分と和するものがないからでしょうか? どう思われますでしょうか?

  • みくにさん、コメントありがとうございます!
    確かに自我が少ないことは特に身弱の人にとっては武器になりますね。
    とはいえ、生きていく上で命の役割を果たす、というときにはやはり己を知る、己を自覚する、という意味で貫索星や石門星は大事だな、と思います。
    人は誰しもが30歳で納音がめぐり、少しずつ己の道に目覚めていくわけですが、そのタイミングで貫索星、そしてその後石門星がめぐるというのはとても恵まれているように思います。
    ぜひその大運のうちにご自身の向かう先を見定められて、満足度の高い、実りある人生に向かわれますよう応援しております。
    引き続き、よろしくお願いいたします!

  • みくにさん、コメントありがとうございます!
    青龍先生のサイトですね、確かに自我薄とよく書いておられますね。
    「自分の立つ世界に自分しか身を置かない」というのがどの文脈で書かれたものか分からないので確たることはお答えできないのですが、
    青龍先生は星の背景にある干の構成という視点で解釈をされていて、自我薄という場合は日干から発するものがない、つまり他の干に剋される車騎牽牛、他の干から生じられる龍高玉堂しかない場合が全き「自我薄」ということになろうと思います。

    該当箇所のURLなど貼っていただけたら、もう少し具体的にお答えできるかもしれません。
    よろしくお願いいたします。

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