戊亥天中殺は金儲けができないのか?

先日ご相談にこられた方に、
戊亥天中殺は金儲けができないのか?
という質問をされました。

 

現実が虚になっている戊亥天中殺は現実にあまり興味がなく物欲もあまりなく、
「夢の世界を生きている人」
などと書かれたりするので、まぁもっともな質問です。

 

本に書かれていることの表面だけをなぞれば確かにそういうことになるのですが、
実際のところをいえば、
金儲けを目指し、それを手にしたところで満足感を得ることができないというだけのことであって、
お金儲けにせよ現実的な名誉にせよ、真に欲するならそれを手にすることは恐らく他のどの天中殺よりも簡単にそれをやってのけることができるのが戊亥天中殺です。

 

現実という枠組みがなく、
現実という足場がないので
「現実」というものに興味がなく、それで幸せかどうかは別ですが、
現実が虚であるという全き不安定感は強いハングリー精神を生むので、
もし真にお金なり名誉なりを真に欲するならどの天中殺よりも速いスピード感でそれを成し、
いってみればフリーハンドで何事をも成せるので、そこに難しさはありません。

 

もし、戊亥天中殺で現実的なことに苦労している人がいるとすれば、
それは現実にしがみついて物欲に絡め取られているからだろうと思います。

 

子丑天中殺は初代運といわれ、
自ら新しい世界を築いていく役割を担いますが、
「はみ出し運」で家系を継承せずに「無から有」を形成する役割を持つ戊亥天中殺もまた、ある意味では一から新しい世界を構築する役割を担います。

 

但し、
子丑天中殺が現実に立脚し、現実の枠組みの中で積み上げながら新たな世界を構築するのに対し、
戊亥天中殺は現実に関わらず、自分のビジョンをストレートに具現化するという違いがあります(無から有、ですからね)。

 

子丑天中殺が現実のルールや常識を駆使してそれを成すのに対し、
戊亥天中殺ら現実のルールや常識に関わらず、その精神性の導くところに従ってそれを成すので、
アプローチもまるで異なります。

 

また、子丑天中殺は創り上げたものに満足感を得ることができますが、
戊亥天中殺は出来上がったものは単にプロセスであってそこに満足感を感じることはありません。

 

先ほど「有願」について書きましたが、
戊亥天中殺の人が現実的な何か、例えば財とか名誉とかを望むのは、その本質的ではなく有願としての願望ではないかと思います。

 

なので、
自分がある程度満たされる程度の財なり名誉なりを手にした 、有願を叶えた戊亥天中殺の人はあまり現実的なことには拘らないものであったりします。

 

言い換えれば、
戊亥天中殺の人で金儲けや財に拘るのは宿命に外れているともいえるので、
もし戊亥天中殺の人がそこに拘りを感じているなら、あらゆる手段を講じてさっさと金儲けをして満足してしまうことをお勧めします。

 

そうでなければスタートラインにすら立てません。

 

現実が欠けている戊亥天中殺が目指すべきは高い精神性であって、思想や哲学、あるいは美しいビジョンの世界なので、
本来、金儲けを目指す役割ではありません。
何か精神性の高い活動の結果として財を得るということはあったとしても、
それを目指してしまうと何かと試練に見舞われるのではないかと思います。

 

ちなみに、
戊亥天中殺に関わらず、
「欠け」の部分はそこに拘ってもうまくいかない、精神的満足は得られない、ということであって、それを得られない、ということではありません。

 

子丑天中殺は父親や目上、
申酉天中殺は配偶者や仲間、
午未天中殺は子供や目下、
寅卯天中殺は母親や兄弟、友達、
辰巳天中殺は精神や無形のもの、
がそれぞれ欠けるわけですが、それが得られないということではなく、そこに拘りを持つと苦しいし、そこに満足感はありませんよ、というだけのことです。

 

つまるところ、
「何事も拘りを手放せば逆に入ってくる」
という真理に照らせば、そうした自分の欠けを認識してそこへの拘りを手放せば、欲するものを手にして平和に生きていくことも出来ます。

 

なお、「戊亥天中殺の現実虚はこの現実世界において不利ではないか?」ということもよく訊かれるので補足すると、

欲求を手放す、
というのは現実に立脚しているとなかなか困難なものですが、
戊亥天中殺はそもそも現実に足場がないので、ほかの天中殺と比べれば割と簡単に欲求を手放すことが出来ます。

 

まぁ、エゴの強目の従星があると多少難しさはあると思いますが、
現実が欠けていて、現実に手にしたものに満足できないことの代償として、
手に入れるだけなら簡単にそれが出来るのではないかな?と思います。

 

よって、それを上手に使うことを覚えれば、むしろ有利かもしれないと私は思っています。

 

繰り返しになりますが、
現実や現実的な利益に拘る意識がある限りにおいては「簡単に手にできる」という次元には至れません。

Photo by 五玄土 ORIENTO on Unsplash

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