国家教育と民族教育 幸せになるために必要なこと

昨日書いたことについて、
「お金持ちになりたいなら政府批判をすべきでない」と、受け取った方がおられたようなのですが、そういう意図はありません。

ちょっと誤解を解くにあたり、本日は、「教育」について算命学という視点で書いておこうと思います。
これは学理で学ぶ分野で、通常はサークルのほうに書くのですが、昨日書いたことに誤解があってはいけないと思い、それを補足する意味でこちらに書きます。

さて、国家における教育というのは実は二種類あります。
一つは国家教育で、これは国家によって、国を守る人材を育てるという目的をもって行われる教育のこと。
もう一つは民族教育で、その言葉は馴染みがないと思いますが、道徳や宗教など、人として豊かに楽しく生きていくという目的をもって行われる教育のことです。

あるいは、
法律に基づいて与えられる教育、法律に教育の内容が定められている教育が国家教育、
法律にかかわらず与えられる教育、自由に教育の内容が定められるのが民族教育ともいえます。

ちなみに、現代の世界における先進国では、日本を含め、ほとんどが国家教育の機関しかないので、「民族教育」という言葉を知らなくてもそれがふつうです。
民族教育というのはごくごく一部の宗教系全寮制の学校などにおいて人間の在り方を一から教えるような学校でなされているくらいというのが現状です。

国家教育と民族教育についてもう少しその内容を書いておくと、
国家教育は車騎星から石門星への流れの教育で、
まず働く、一生懸命働いて、一人一人が国のために汗水たらし、わが身を惜しまず働いて(車騎星)
そしてやがてはみんなが仲良く暮らしていく(石門星)
という生活が営々と続いていくことを目的としています。

一方で民族教育は、玉堂星から鳳閣星への流れの教育で、
祖先・先祖からの伝統を継承し、知恵や知識を受け継いで、過去に学び無形の学びを重ねつつ(玉堂星)
そしてやがては楽しくのんびり大らかに、自然体で朗らかに暮らしていく(鳳閣星)
という生活が営々と続いていくことを目指しています。

つまり、国家による教育というのは、国を守ることを目的としてはいるけれど(=間接的に国民の生活に寄与するものではあるけれど)
国民自体のリアルな生活、直接的な幸せを豊かに楽しいものにするという機能はもっていないということです。

よって、前置きが長くなりましたが、国民が国家に対して批判をするというのは実はとても健全なこと。
国と国民は別である、という視点は実はとても大切です。
このあたり、日本は島国なので、情的に「なぁなぁ」になりがちですが、中国やアメリカなどの大陸文化をよくよく見れば、認識しやすいのではないかと思います。

国民が国家に対して批判するということは健全で大事なことなのですが、
それが、SNS上での単なる「愚痴」や「文句」、口汚い批判に終始しては、それは、国家と双璧をなすという意味での国民の「批判」としてはとても及びません。
そういう低次・低レベルの「愚痴」や「文句」、口汚い批判では、自分自身の足場を崩す結果にしかならないですよ、というのが昨日書いたことの真意です。

「国家と双璧をなす国民」という書き方に懐疑的な方もおられると思いますが、
算命学において国家を語る場合、陽が国家、陰が国民となり、国家と国民が陰陽を構成しています。

これはつまり、
国は国を守っていくという役割と、
国民は国民自身が幸せになっていく役割、
それぞれの役割をそれぞれが責任をもって果たしていくことが必要であり、またそれが可能であるということを示しています。

但し、
現在の日本(を含める先進国)は、せっせと国家教育ばかりに力を入れる、
これは庶民大衆も同じで、例えば私立学校にしてもいわゆる学校法人によるものはすべて国家教育の機関なので、
日本中、とりわけ高年収の人たちがせっせと国家教育にばかり時間もお金もかけて子供を育てていく、ということをしているのですが、
そういうことをしてきた結果、「自分自身が幸せになっていく」という能力を持った人が少なくなっているという現状があります。

よって、今やるべきは、愚痴や文句、口汚い批判ではなく、民族教育。
つまり、
日本の祖先・先祖からの伝統を継承し、知恵や知識を受け継いで、過去に学び無形の学びを重ねつつ、
そしてやがては楽しくのんびり大らかに、自然体で朗らかに暮らしていく、
ということに真剣に取り組むことであろうと思います。

国家教育と民族教育は、バランスが取れることで人間として安定感をもって発展していくことができます。

国家教育というのは割と短期的にその内容が変わっていきます。
国の都合でころころ変わるのが国家教育。長くてもせいぜい100年200年といったところを学ぶのが国家教育です。
一方、民族教育というのは、1000年、2000年の歴史を経て残ってきたものを学ぶもの。
そう考えると、国家教育と民族教育の両方が大切であることがよく分かるのではないかと思います。

なお、算命学は4000年以上の歴史をもつ学問です。
こうした学問を学ぶことも民族教育の一つであるので、国家教育に偏っているような方は、算命学を深く学ばれてみると良いのではないかと思います。

Photo by 五玄土 ORIENTO on Unsplash

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