居場所と役割と学校の選び方

上海の名門大学において、憲章から「思想の自由」が削除されたそうです。
日本にいると「考えられない!」と思いますけれど、まぁ今の中国ならあまり驚きはない気もします。

 

一昔前の日本においても、「思想の自由」はうたわれていましたし、実際のところ少し前まで教育や社会はマス教育の延長にあり、個人の思想より全体の思想、自分の利益より会社の利益のほうを尊ぶ傾向というのはありましたので、国家の形成・発展のプロセスにおいて中国は今その段階にあるということだろうと思います。

 

社会の基盤を作ったり経済の発展を目指す場合、「思想の自由」よりも現実世界に立脚して生きる人のほうがその役割を果たしやすい傾向があり、
世の中の一定数の人は「思想の自由」などなくても生きていけるもので、むしろその方が役割を果たしやすくて良いと考える人も少なからずいます。

 

なので、中国においては、日本のマスコミが大騒ぎするほどこの「思想の自由」の削除問題が大きな問題になることはないのかもしれないな、という気がします。

 

算命学では、こういう「思想の自由」が不可欠の人たちとそうではない人たちというのが分かります。

 

「思想の自由」を必要としない人たちというのは国家体制の中で上手に居場所や役割を見つけ、国家権力に寄り添いながら活躍することができます。
日本でいえば、公務員とか大企業、あるいは商工業などで活躍するのはこのタイプの人たちです。

 

一方、「思想の自由」を必要とする人たちというのは、国家の中にありながら国家・社会よりも個人の才能や思想を際立たせ、その才能や思想を遺憾なく発揮していくことで居場所や役割を得ていきます。
例えば、学者や思想家、芸術家、著述家など、物事を極めたりそれを表現して伝えたりする分野で活躍するのはこのタイプの人たちになります。

 

どちらが向くかというのは、
陽占の星の並びから活かしやすい星によって分かります。

その星をもって、この現実世界においてどういう世界のどういう分野に身を置くことがその活躍につながるのかをみていきます。

いわゆる才能占技というもので、それを発展させた進学占技というのもあります。

 

「思想の自由」を必要としない人たちというのは、国家権力の内側にあってその才能を発揮していくので「集団」を基盤とし、全体を意識しながら学んでいく国公立の学校に向き、
「思想の自由」を必要とする人たちというのは、国家権力の外側でその才能を発揮していくので「個人」を基盤とし、際立った個性才能を追求しながら学んでいく私立の学校に向きます。

 

国公立の学校にせよ、私学にせよ、
その中位のレベルかそれ以下の人にとっては大した差はないのでどちらでも問題ないかもしれませんが、各学校のトップクラス、その学校を体現するような人たちにとっては、この差はかなりはっきりと出るものなので、「とりあえず大学に」とか「とりあえず就職に必要だから」とかいうのでなく、「一流」を目指し、その学校の顔になるような存在感の発揮を目指すような人たちは、このことを意識しておく必要があるだろうと思います。

 

話を上海の大学に戻せば、
この大学は個人の才能の発揮よりも社会国家の体制に資する人材の育成に特化することをこの「思想の自由」の憲章からの削除によって表明したのであって、そういう学校が今の中国には必要ということかもしれません。

 

ちなみに、
日本はといえば最近は「個人」の才能を生かして生きるのに向く人が増えているようです。
時代や国によって、生まれる人の宿命は変化しそこに偏りを見ることができます。
「時代に合う」「国家の成長段階に合う」人が生まれやすく、それによって国家・社会が発展していきます。

 

算命学を確率論で語ることはできません。

Photo by 五玄土 ORIENTO on Unsplash

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です