貫索石門中殺と関係づくり、場づくり

昨日は、地元の志ある人たちの忘年会でした。

 

年末の仕事納めの日に、
それぞれが自分の生きる道について強い思いを抱いている、そのことに深く耳を傾け、語り合い、そして今後について思いを強くする時間を持てたことはとても有意義で、そういう時間を過ごせたことに感謝です。

 

天冲殺に入る少し前からひどく荒れていた時期があり、今回の天冲殺が石門星中殺、貫索星中殺であったそのままに、何人かの友人関係において破壊的な状況を作り出してしまっていたのですが、
そういう友人を含めての「有志」忘年会。

 

彼らは私がこの街に引っ越してくることを決めた理由にもなった人たちで、
そういう人と改めて絆を強められたことは、「今年の最後の大仕事」が成ったような達成感があります。

 

算命学的に振り返れば、
貫索石門が中殺されるタイミングというのは、やはりエゴが強まり暴走し、友人関係や兄弟関係を直撃しました。

 

貫索石門は友人や兄弟を示すといわれます。
ときに友人や兄弟であればそれほどダメージはないような言い方をする人もいますが、

これらの星が示すのは、
「なんとなくの友人」とか「漠然とした友人」ではなく、
「大切な友人」や「尊敬する友人」のような、自分にとって有意で不可欠な友人や兄弟のことであり、

それが中殺されると、その有意で不可欠な存在との関係において破壊的な状況を作り出すということを、今回の天冲殺において学んだ次第。

 

しかし、天冲殺は決して「破壊して終わり」のものではありません。

 

天冲殺の破壊というのは、
その点において自分が正すべきものがある、
自分が学ぶべきことがあるときに起こるので、
正すべきものを正し、学ぶべきものを学ぶことで大きく成長する、軌道修正する、
そういう成長や軌道修正を促す作用というのが本質なので、
その意味では、今回そういう大切な人たちとの関係を修復できたとすれば、それは何かしらの成長や軌道修正ができたということなんだろうと思います。

 

ちなみに、今回の「有志」忘年会ではそれぞれに「志」について語っていただくべく宿題を設定していたのですが、
10人のうちやってこなかった人が2人。
ちなみに、絶交していた人も2人。

 

元々、「仲が良い人だけ」の飲み会はその中で必ずどこかに綻びができるという万象学の考え方を逆手にとって「関係改善」や「有意の時間」が成るよう参加者を設計したのですが(もっと言えば、位相法や日干支も考慮しました)、

 

「みんなが完璧に宿題をしてくる」
ということに欠けが生じたことも、実は重要な要素であったのではないかと感じました。

 

完璧なものは壊れます。

 

周到に準備をしたうえで、そこに「欠け所」を準備する、そしてさらにその「欠け所」が納ったら「欠け」を許容する、そういう姿勢というのが関係づくり・場づくりには大切だということもまた学んだように思います。

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Photo by 五玄土 ORIENTO on Unsplash

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