ない星に拘ると歪む、その仕組みと等価交換の大切さ

官の星、財の星なしにそれらを目指した場合においても、それを手にすることはできます。
しかし、それをすると歪みます。

 

例えば、牽牛星は官の星ですが、その官の名誉を得る前段階として名誉に足る努力や組織に尽くす働きという性質があります。
官の星がない人は、名誉を得る、その前段階を飛ばして名誉を得ようとするので歪みます。
下積みなしに名誉を得ることはできますが、そのアンバランスの当然の帰結としてどこかで失敗します。

 

あるいは、禄存星は財の星ですが、その財を得る前段階として財を引き寄せるための優しさや思いやり、奉仕の性質があります。
財の星がない人は、財を得る、その前段階を飛ばして財を得ようとするので歪みます。
優しさや思いやり、奉仕の精神なしに財を得ることも不可能ではありませんが、その財を得ることの反動として何かを損ないます。

 

星を持っている、ということは、その徳目を持っているということです。
その徳目の徳を積むことなしにその果実だけを得ようとすることは、泥棒のようなもの。

 

官を盗んで名誉を得るとか、
財を盗んで金持ちになることはできるかもしれませんが、
そういう人はオモテの世界で真っ当な人に囲まれて生きるのは難しくなるだろうと思います。

 

いってみれば、
適切な徳を積まずに果実を得ることは対価を払うことなく何かを得ようとする物乞いとして生きるようなもので、自分の品性を損ない、人生を破綻させます。
卑しさが顔相に現れ、声色や物言いなど至るところに露呈するので見る人が見ればすぐに分かります。

人が「不運」と呼ぶものの多くはこうした徳を積むことなく得た果実の反動として、その歪みを是正するために起こるものです。

 

私は頼まれて命式を拝見する場合には、お金は頂かないものの「対価」として、等価交換になるようなものを頂くことにしています。
これは、私がお伝えすることの背景には費やしてきた相応のお金と時間があり、そうやって学んできたものなので、それを対価なしに提供することは、歪みを作ってしまうことによります。

 

基本的に、世界はエネルギーの等価交換の上に成り立っています。
心地よい関係というのは、常にエネルギーの等価交換が保たれているもの。
何かを過剰に与えても、何かを与えないことが過剰になってもその関係は心地の良くないものになります。

 

なお、そうはいってもときどき、
搾取されたな、とか、
吸い取られるな、とかいうこともあります。
その場合、私は敢えて放置しておくことが多いです。
かましいお願いをされることもありますが、割と機嫌良く応諾します。

これは一つの奉仕で、その奉仕により財の入口が活性化するからです。
(その反射として、その吸い取った側の人は財を逃しますが、それはその人の判断です。

ゲッターズ飯田さんが無料ですが占うのは、それにより得られるものがあることを知っているからだろうと思います。)

 

星がなくてもその徳分をきちんと積んでいけば、その徳の果実は得られます。
但し、星がない場合はそれを自発的にするのではなく、他律的にすることが大事です。

 

例えば財の星がない人がする自発的な奉仕というのは、本人にとっては奉仕かもしれませんが、財の星がある人のする奉仕と比較すれば微々たるもので、それを一生懸命やろうとしても早晩苦しくなります。

Photo by 五玄土 ORIENTO on Unsplash

2 件のコメント

  • いつもありがとうございます。
    ない星というのは、蔵干も含めるのでしょうか??

  • はれるやこはるさん、返信が遅くなりました。
    蔵干から出る星も「ある星」に含めます。
    ただ星図に出ない場合は相応の努力が必要です。

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