算命学的な「生きる」とは

ちょっと難しいお話ですが、
先日、「今を生きる」ということについて書いたので、少し掘り下げておきます。

 

算命学における「生きる」とは、鳳閣星に象徴されます。
一言でいえば、「無為自然」の生き方、
それが算命学でいう「生きる」です。

生活をあれこれ工夫することなく、
論理的に知恵を働かせるでもなく、
無為自然の中に時を過ごすことをいいます。

 

現代における「生きる」とは、
働いたり役割を果たしたり、
家族や友人と過ごしたりすることを思い浮かべるわけですが、
一個の人間の「生きる」というのは、それらとは何の関係もありません。

また、「無為自然」などというと、
物事を考えない、
周りを気にしない、
自分中心にあるがままに生きることを想像されたりしますけれど、
これも算命学でいう「生きる」ではありません。

 

算命学でいう「生きる」は、和合性に支えられる必要があります。

和合についても少し説明すると、
誰かと合うとか合わないとかいう、選り好みをする和合は真の和合性ではありません。
真の和合とは、
自分の本質と合うとか一致するとかいうのではなく、
どのような人とも和合し得るもので、
その心は、
相手に何一つ求めない在り方、
相手から何一つ引き出そうとしない在り方の先にあり、
そうした境地において初めて真の和合が成ります。

 

人間が真に「生きる」という場合、
森羅万象、あらゆるものの中において
「一個の人間として存在する」
ということであり、
そのためには和合が必要である、ということになります。

そして、真の和合が完全燃焼された先に、自ずと無為自然の在り方が生まれてきます。

 

さらに「生きる」を掘り下げれば、
肉体はもちろん、心も精神も霊魂もすべてが生きている必要があります。

算命学では、
人間の霊魂は東方未来へ向かって進んでおり、
人間の肉体は西方浄土への道を進んでいるといわれます。
簡単にいえば、
魂は未来へ向かい、
身体は過去に向かっています。

真に生きる場合、
魂は未来へ向かう必要があります。

魂はその生まれたスタート地点から本気で何かに取り組み、自分の本質に出会うことで完全燃焼することができます。

生まれ持った魂は、一度完全燃焼することで「空」となり「無」になります。
そのプロセスを経て霊魂は目覚め、生まれ変わることができます。

 

自分の本質と出会うまでの旅、
その自分との戦いの中に精神の浄化があります。
これは、誰しもが避けては通れない道です。

 

算命学では、
生涯のうちで一度は霊魂の入れ替えが必要といわれますが、
真に生きるとは、真の「無」を知り得ること、と言い換えられます。
その入れ替え、「無」になる経験を経て初めて無為自然に「生きる」世界に到達します。

 

「無」になった霊魂には、
そこを出発点として新しいエネルギーが少しずつ入ってくるわけですが、
「無」を知る者はどんな小さなものであっても心から喜ぶことができます。
小さな有形を尊び、集め蓄積する心に向かいます。

 

まとめると、
真に生きるには和合性が必要で、
真に生きた先には小さな有形、蓄積があるということになります。
気づかれたと思いますがこれは、
鳳閣星は石門星に支えられ司禄星に向かう、と言い換えられます。

 

以上は算命学における「生きる」ということの説明ですが、
鳳閣星を陽転させる、
ということを目指す場合の考え方でもあります。

 

参考:『原典算命学体系』第4巻より

Photo by 五玄土 ORIENTO on Unsplash

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