『日本国紀』読んでいます(前半)

新年、日本の国を寿ぐため『日本国紀』を読んでいます🇯🇵
特徴は、日本について誇れることを片端から取り上げている点。
日本を愛し誇る気持ちが育まれそうな本です。
なお、この本は日本の通史ですが、通史は地政学を考える際にはとても参考になるもの。その意味でも、勉強になります。

以下、ひとまず江戸時代の終わりまでで面白いと感じたところ。(ネタバレ注意!)

・万物に霊魂が宿るというアニミズムの思想の尊さ。
新嘗祭が「勤労感謝の日」に…残念。
神道は、浄明正直に生きることを徳目とする(全国各地の神社は85000ある)
万葉集は世界に誇るべき古典であり、文化遺産である。
・大御心と大御宝
・日本は東アジアで最も早く太陽が昇る国。
・日本には、中国や欧米では当たり前にある民衆の虐殺が起こったことがない。
・日本以外で女性が書物をあらわすようになったのは近代以降のこと(日本は万葉集の時代から)。
・刀伊入寇において日本を守ったのは、天下のさがな者、はみ出し者だった藤原隆家。動乱期の始まり。
なお、平安貴族は戦を野蛮なもの、穢れとして忌み嫌った。また死刑も穢れ祟りにつながるためなかった。
・死刑の復活は保元の乱のとき。この時敗戦し讃岐に流された崇徳上皇は恨みをもって「皇を民に、民を皇に」という言葉を残した。その怨念を鎮めるため、明治天皇は700年の時を経てその御霊を讃岐から京都へ帰還させ和解を図り、今なおその供養は国家行事として続いている。
北条時宗は日本を蒙古から守るために生まれてきたような男である🇯🇵
・日本人の宗教観、死生観は鎌倉時代に形成された。
室町時代において、「貧粗、不足の中に心の充足を見いだそうとする意識」が生まれ、「わびさび」に昇華された。足りないものを尊ぶ心。日本独特。
・大将が陣を変え敵味方が常に入れ替わり続けた応仁の乱。京都の人の思想と地域柄に大きく起因する印象。しかしこれにより既存の勢力図が崩れて下克上の世に。
天下布武とは「天下に七徳の武を布く」の意味。織田信長は戦国時代を終わらせるために生まれた男。
織田信長の旗印は永楽通宝。経済重視。また寺は焼き尽くしたが熱田神宮に莫大な寄進をし伊勢神宮式年遷宮を復興。
ポルトガル人から購入した鉄砲二丁から、たちどころにそれを複製・量販し、戦国時代末期の鉄砲保有数は世界一だった。欧米からの攻撃を逃れた遠因。
・名誉心の高さ、善良さに加え日本の識字率、武器携行率の高さに宣教師は驚いた。また当時の高い教養のある禅僧たちに宣教師はしばしば論破され、苦しめられた。
・刀狩りは平和とともに身分の固定化をもたらした。
・江戸時代は日本の近代、民度・知的レベルが高く街も清潔でヨーロッパのような疫病もなかった。
鎖国期間中の外国船窓口は、長崎、対馬、薩摩、松前
・江戸時代は、多くの武士が刀を抜く機会など一生に一度もなく、また武士は長男長女(長子)以外は正式な結婚はできなかった。
・四代家綱の時に明暦の大火。火除け地として土俵ができたのが両国。
・五代綱吉のときに浅間山噴火、富士山噴火。
元禄文化は、世界に200年以上先駆けての管理通貨制度導入とそれに伴う好景気の賜物。
また読書欲高く一冊1万円の本が飛ぶように売れた。出版は文化の振興を支えたインフラ。
また知的レベル高く数学好きで、関孝和はヨーロッパを200年先取り。数学本 塵劫記は江戸時代を通してのベストセラーでありロングセラー。数学を純粋に愉しみとしていた。
世界最高の教育水準、世界一の識字率
・元禄の豪商 淀屋は5代目で財産没収、再興後、倒幕運動に参加しほとんどの財産を朝廷に献上して店を閉じた。また同じ豪商の紀伊国屋は晩年乞食同然に。
元禄から今に続く豪商は三井。
・参勤交代と流通発達に伴い五街道が整備。庶民も旅行可能に。なお治安良く、京都から江戸まで女性が一人旅できた(同時代の欧州では考えられないこと)。
また、犬が主人に代わってお伊勢参りへ。お金をとられることもなく道中助けられて無事戻った。日本人の物心両面の豊かさ。
・300年から江戸には上下水道的な設備が完備されていた。
・世界に類を見ない外食産業の繁栄。その数7000超、同時代のパリ・ロンドンを圧倒し世界一。街道整備と人口30万人超による。
・日本の災害復興力は歴史的。日本人独特の忍耐強さ、相互扶助、精神力、諦めの良さによる。
・日本の農村は自治。中国や欧州
のような農奴は存在せず。また武士よりも着実に富を蓄え休日を増やし、祭りを楽しんだ。
・六代綱豊は貨幣の金銀含有量を安定させたが経済は悪化。悪貨は良貨を駆逐するが、経済は好転することも。
徳川家康からの男系は七代で絶えた。
・公事方御定書は日本において刑事における明文法となり判例主義の浸透に繋がった。また目安箱は庶民の政治参加の意義も。近代国家初。
・吉宗の倹約、節約や粗衣粗食は経済を衰退させ、尾張徳川宗春は贅沢を推奨し好景気に。名古屋発展の元。なお、倹約令で疲弊した江戸も貨幣の金含有量を減らして(悪貨にして?)景気回復。
田沼意次は経済の天才だったが、既存勢力や幕閣には相当嫌われていた。「改革者を蹴落とす」日本的な村社会の犠牲者。
伊能忠敬は農民であり商人だった。49歳で隠居し、50歳で江戸に出て、天文学、暦学、数学を学び、正確な暦のために正確な地図が必要と、55歳で旅に出て17年かけて大日本沿海輿地全図を完成。幕府は国防上の大きな情報を得た。
・十一代家斉は在位50年も、大奥入り浸りの俗物将軍。
・十二代家慶は政治に無関心(四代綱吉と同じ)、しかし国内外に大問題噴出。
・平和期に言霊主義は大いに機能するが、動乱期には役に立たない。

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Photo by 五玄土 ORIENTO on Unsplash

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