再生するには回帰する必要がある。
…算命学においてそういう書き方をされることはあまりありませんが、
比和から対沖に向けての流れを飛躍、進行、ときに逸脱とするならば、
対冲から比和に向けての流れは回帰であり、
その先に改めてめぐる比和というリスタートは再生であるといえます。
だとすれば、
再生するには回帰する必要がある。
…というのは、東洋思想における円環・循環的な時間感覚に応じた、適切な描写であるといえるのだろうと思います。
何の話かといえば、
誰しもに巡る60歳の律音(比和)=再生を前にしている場合、
「回帰する」ことは、不可避のプロセスなのだろうというお話です。
前進しようと思うなら、家系の戻る、原点に戻る、起源に戻ることは不可欠である、というか。
そしてそれは、中殺があっても同じなんじゃないかな、と、考えています。
もともと、中殺がある場合それは、生地生家を離れて伸びる宿命であるため、
家系を離れて然るべし、とされるのですが、
これは、家系から永遠に離れましょう、家系とは未来永劫関わらないようにしましょう、ということではなく、
生地生家を離れて人生が大きく伸びたならば、
その成功の御旗を掲げて凱旋する…までいかずとも、自分を育んでくれた故郷の発展に向けて、
自分が出来る何かをする、ということが望まれる、というか、自然とそうしたくなるのではないかな、という気がします。
中殺とは不安定さであり、極端さであるので、
家系が中殺されている生月天中殺の方は、家系から全力で離れた先に、それなりの発展を経て、他を圧倒するような憧憬と尊崇の念をもって家系に立ち戻るのではないか。
だいたい、生月天中殺をもって大成している人物をみれば、その成功の御旗を掲げて凱旋しておられます。
安部元首相しかり、前澤友作さんしかり。
ということで、50代に入ったら原点回帰のススメ。
「自分のためだけ」に生きる人生、ひたすら勝ちと利得に拘る人生からの転換点、
そこできちんと転換することで「自分」に立ち戻ることができるように思います。
「自分」が何を好きだったか、思い出せない人は特にやってみると良いと思います、原点回帰。
🪷

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