完全性を目指す人たちの処世術

このところ、滅多に「イベント」には参加しないことにしています。

が、先日たまたま仲良しな友人と帰りが一緒になってそのまま誘われるまま一緒にとあるイベントに参加したら、
参加者の中に知っている人が「友達削除」した人しかいない
ということがありました。

 

自分の進んでいる道を「逆回転」させるようなことをするとこういうことが起こります。

一方で、
自分の進んでいる道に合っている人と会食の予定を組もうとすると、
その人もとても忙しい人なのになぜか予定が合ったりすることもあります。

 

応援されている道か、
それている道か、
起こる出来事はバロメーターなんだな、
と思います。

 

自分の方向が明確になると、
「不特定多数」の人に会うことで得られるものよりも失う時間の方が気になってしまったりします。

方向がちがったり、
目指すものの完成度がちがったり、
そういう多様な世界や人から得られるものは確かにあるとは思うものの、
その方向や目指す完成度が大きく異なるとちぐはぐなことになります。

 

例えば、60点で満足できる人と100点でなければ落第点だと感じる人は、
それぞれに別の世界に生きている人で、
それぞれに何か別の調和点やメリットがあれば別ですが相容れない人たちです。

 

あるいは、
発表することに意義があると感じる人と、
そこに完全性や美学がなければ発表するに値しないと感じる人もまた相容れない人たちです。

 

完全格とか従化五格に入っているような人、
あるいは調舒星が際立つような星図の人は後者のタイプで、貪欲に完全性を追求します。

 

そういう人たちが「普通の人たち」とうまくやっていくのはなかなか苦しく、
きちんと評価される機会に恵まれれば相応の敬意をもって受け入れられますが、
そうでなければ「変わった人」として切り捨てられたりします。

 

私も後者のタイプで星図的にも完全性を目指す傾向が強いので、ときどき「生きにくいなぁ」と思ったりするのですが、
後者のタイプが変に妥協したり、不完全なものや不調和なものを許容したりすると陰転につながるので、結局のところとことん完全性を目指し続けるしかないということになります。

 

完全性を目指し、それを体現することを目指すこと。
それがその人の生まれてきた意味、

なので、
それを損なうとロクなことになりません。

 

そうした生き方は多くの場合、世界を狭めます。
余程突き抜けた完全性を備えれば、それをフックとして大きく世界を広げることは出来ますが、
プロセスにおいては狭い世界で過ごすことになりがちです。

 

東洋思想においても、
運を掴むには多くの人と関わる方が運を掴み易いといわれるので、
完全性を目指す人たちはそこでジレンマに陥ります。

 

運は掴むために世界を広げたいけれど、
世界を広げることで完全性が損なわれる、
そうすると陰転するからです。

 

しかしそういうジレンマを通して生じる危機感がエンジンとなって完全性を目指すことに拍車がかかるという面もまたあります。

 

何を目指すにしても、
良い面と悪い面があります。

 

結局のところ、
何かを本気で目指す人は、
「人生万事塞翁が馬」
という言葉を座右の銘として、自分の信じる道をまっすぐに進むのが良いのだろうと思います。

 

なお、補足ですが、
従化五格の人たちは完全性を目指す人たちですが、
モノゴトに「従う」ことで陽転する人たちでもあります。
(なので身弱の方が良いといわれます。)

まわりが不完全なものや不調和なものに囲まれていると、そこにもジレンマが生じる可能性があります。
よって、心地よく「従う」ことのできる完全性を備えた環境を選択していくことが大切な人たちでもあります。

Photo by 五玄土 ORIENTO on Unsplash

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