慶應義塾と「実学」と「濁」

慶應義塾大学の入学式がYouTubeで公開されていたので、閲覧させていただきました。

慶應義塾というのは、人格形成に重点をおいた学校であるといわれますが、
長谷山塾長の式辞を聴いていると、なるほど、と思いました。

入学式の参加者が約6000人、一般受験で入学するのは約3000人、内部進学が2000人弱、推薦での入学が1000人強といった割合だそうですが、
一般受験の場合にも受験科目に小論文があるあたりに、そういう人格形成に重きを置く考え方が息づいているのだろうと思います。

なんとなく、こういうことを言っては身も蓋もありませんが、
必ずしも同大学の出身の方が人格者であるようには感じられない、ということも実際にはけっこうあります。

それでも、式辞を拝聴していると、
こういう立派な大学に入学し、誇りを感じながら学ぶことができるというのはやはり人格形成に一定の良い作用があるのだろうと思いました。

この大学の理念の一つに「実学」というのがあるそうですが、
算命学で「実学」というのは龍高星です。

忍耐を重ねつつ、様々に放浪しながら経験を求め、体験を重んじながら学び、それを実際に活かしていくこと、
実際の生活に役立ち、実体経済を活性化することのために学ぶ知恵を司るのが龍高星。

多少の狡さも使いつつ、あるいは大っぴらには胸を張れないようなことをしてでも実を取ることができるための学びが龍高星であり、
この星は、正統な学問の担い手からすれば後ろ指を指されるようなこともお体験的な学びの一つとしていくことが出来る星です。

そう考えると、
最高学府、というと、いかにも正統で純粋で清く正し学問の殿堂であるかのように捉えるものですけれど、
「実学」を理念とする、という場合には、必ずしも、正統で、純粋で、清く正しいことばかりでもないではないのかもしれません。

だとすれば、この大学を出た、多少の卑怯さとか、あれ?と思うような狡さがあるな、と思うような人たちというのは、
まさにその「実学」を学んでこそのそういう卑怯さなり狡さなりを「備えつつ活用」していて、
それでも軸には相応の人格者であるので、相応のポジションにおられるのかもしれないな、とも思いました。

そもそもですが、経済の担い手とは、清濁併せ呑んでこそ大成するものです。

机上で学んでいると、こういう「清濁」とか「濁知」というものを、
そうはいってもキレイにデコレートして扱いやすいものとして捉えてしまいがちですけれど、
「濁」というからには「濁」であり、それに直面すれば、

体のすべての毛穴が逆毛立つような、
あるいは体を流れる全血液が沸き立つような、
そういう「濁」であるもので、

そんな「濁」の知恵を担うのが龍高星である、という理解は、とても重要であるように思います。

なお、「濁星」というのもあって、
これは、貫索星・石門星・調舒星・車騎星・龍高星の5つの星ですが、
これらの星というのは、そういう「濁」を担える星であるということだろうと思います。

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