肥料の話の続き

肥料の話の続きです。

先日、何年か前にアイシングクッキーのお教室に伺ったことがある先生と行きつけのコーヒー屋さんでばったりお会いしたのですが、

聞けば最近は雑誌の表紙画になる「モデルお菓子?」づくりなどもされているようで、
来週も、恐らく女性なら誰でも一度は買ったことがあるであろう某雑誌にその先生の手によるお菓子が表紙として載るそうです。

確か、そのお教室に伺ったのは3年か4年前のこと。
まだ2回目のお教室だったのですが、
そのわずかな期間に大きく活躍の場を広げておられます。

すごいなあ、
と、思ってそうお伝えしたら、
「いえいえ、自分の名前でその写真が載るようにならないと。まだまだ頑張らなくちゃ。」
.…と、おっしゃっていてハッとしました。

あぁ、この人は肥料になる人ではないんだな。
しっかり自分が光ることに向かっている人なんだな。
と感じて、なんだか嬉しくなりました。

自分が光ることを目指していると、同じように自分が光ることに向かっている人に会うと嬉しくなるものですね。

一方で、自らすすんで肥料になりに行っているような人というのは、
どうにもこうにもかみ合わない、というか、
見ていていら立つというか片腹痛いというか気の毒に感じるというか、

…そんな感じで、やることなすこと、合わない感じ、というのがはっきりくっきりあります。

肥料になる人、というのは、
身強なのに身強らしい生き方をしていない人とか、
異常干支があるのに平凡な世界を平凡に生きている人とか、
いわゆる宿命を消化して生きていない人、
自分の星図とまるで異なる生き方をしている人ということですが、

なんとなく、
ある程度の年齢を超えた「肥料になる人」というのを見ていると、
こういう人たちは、「自分を肥料として使ってくれる」人なしには生きていけなくなっている感じがあります。

肥料としてしか生きられなくなる、みたいな。

前に、中殺があるのに実家に居ついているような人は暗室の向日葵のようになって、
そのうちリカバリができなくなるのではないか?
…というようなことを書いたことがありますけれど、

それと同様に、
ある程度の年齢を超えた「肥料になる人」というのは、
もはや他人の肥料として生きることしかできなくなるのではないか、
という感じがあります。

なお、同じことをしても、肥料になる人とならない人がる、ということもあります。

たとえば、
サラリーマンというのは肥料の生き方の最たるものですが、
車騎星・牽牛星のような星があって、大義・正義のために組織で働いているならば、サラリーマンであることをもって肥料になるということにはなりませんし、

あちこちにいい顔をしつつ、その延長で仕事をもらい、
人の名前で仕事をする、とか、人の仕事を手伝う、とかいうのも「ザ・肥料」ですが、
石門星などがあって、信念をもち自己実現に向けてそれをやるならそれが肥料の生き方になるわけではありませんね。

あちこちにいい顔をしつつ、その延長で仕事をもらってもその関係が対等であるなら、
つまり仕事に「ジョインする」という感覚の共同事業であるならそれが肥料になるわけではありません。

ちなみに、
これを別の角度からいえば、
肥料になる人をたくさん集めたらそれはパワーにもなります。

『鋼の錬金術師』という漫画がありましたが、
あの漫画の終盤を見るとその功罪というのがよく分かるだろうと思います。

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Photo by 五玄土 ORIENTO on Unsplash

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